雪雲にけぶり始める:富神山:山形の歴史・伝統
山形の歴史・伝統 |
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でも、日の出時刻06:55の白鷹山山系の端山:富神山は、雪雲にけぶり始めた。
標高は402.2mと低いが、そのピラミッドの様な急角度なシルエットは、周囲の稜線とは異なるので、新幹線の車窓からでもすぐに見分けがつく。また、頂上からは村山盆地が一望できる。
これは想像だが、「富神山」という漢字があてがわれる前は、もしかすると「登神山」とでも書いたのかも知れない。また、裾にある施設には「戸上山」という字も見当たる。いずれにしても、山岳信仰系の山でもある。
もう完全に雪雲で見えなくなってしまたが、この富神山の南奥(向かって左奥)には標高606.5mの「鷹取山」が続くが、その中腹には「毘沙門池」とか伝令用の「馬つなぎの杉」など長谷堂の合戦の名残も感じられる。ちなみに、毘沙門池付近からは霞ヶ城の方向はバッチリ見えるけど、その逆はなかなか分らない(実際に地図とコンパスを使って試してみた事もある)という、面白いポイントでもある。
さらに、この富神山の北裾(向かって右側)には山形白鷹間を結ぶ通称「狐越街道」が走っている。読まれた方も多いかと思うが、あの司馬遼太郎の著書「街道を行く」で、この狐越街道から見渡した山形の風景を、自然と都市部とのバランスがとても良く調和していて非常に美しい地域だと絶賛していた事を思い出した。
もしかすると・・・だが、まだ捨てたモンじゃぁないのかも知れない。