これぞ天下の上杉節 2番:山形の歴史・伝統
山形の歴史・伝統 |
これぞ天下の上杉節 2番
2008.03.03:Copyright (C) 鈴鳴草子 〜鈴の宿 登府屋旅館〜
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川中島は霧のなか
戦機は熟せり乱れ龍
宿敵信玄なにものぞ
長蛇を逸する七つ太刀
本日は、2番を特集です。
「川中島は霧のなか 戦機は熟せり乱れ龍 宿敵信玄なにものぞ」
戦国史上、最大の激戦といわれる第4次川中島の合戦の八幡原の戦いを歌っています。
上杉謙信は一万三千の兵を要し、川中島を見下ろす妻女山に陣を置きました。
対する武田信玄は二万の兵を率いて、ふもとの海津城にいました。
武田の軍師・山本勘助は、「啄木鳥(キツツキ)戦法」を提案しました。
軍を二手に分け、別働隊を夜中のうちに密かに妻女山に移動させ、夜明けに一斉攻撃。
上杉軍が山から逃げ降りるであろう川中島に予め布陣し、待ち構えた本隊が挟み撃ちをするという作戦です。
ところが、上杉謙信は、海津城の飯炊きの煙が多いのを見て、武田軍の動きを察知。
かがり火や旗さしものをそのままにして妻女山を下り、夜の闇に乗じ、ひそかに千曲川を渡り、八幡原に陣を置きました。
謙信の天才的な戦のセンスがわかる英断です。
上杉軍が妻女山に布陣したのは、20日以上も前のこと。
つまり、ひと月近く海津城の武田軍とにらみ合っていたわけです。
謙信にしてみれば、濃い霧と武田軍の動きに「これを待っていた。まさに今しかない」という思いだったことでしょう。
「長蛇を逸する七つ太刀」
夜明けとともに武田軍の別働隊は、上杉軍がいるはずの妻女山を奇襲します。
しかし、そこはもぬけの殻でした。
川中島で待つ武田本隊。
霧が晴れてみたものは・・・なんと、いるはずのない上杉の軍勢でした。
上杉軍は「車懸りの陣」で攻め込み、武田本軍は「鶴翼の陣」で応戦します。
相手の裏をかき、戦術で上回った上杉軍は、一気呵成に武田の陣内へ攻め入ります。
混乱のなか、武田の軍師・山本勘助や信玄の弟・左馬助信繁はじめ大物武将が討ち死にをしてしまいます。
手薄となった武田信玄の本陣に、萌黄色の衣服に黒糸緘の具足をつけ、白頭巾を被った上杉謙信が単身現れます。
三尺余りの大太刀「小豆長光」を振りかざし、馬上から信玄めがけ切りつけます。
謙信は、三太刀斬りつけ、信玄は軍配でこれを防いだものの、肩先を負傷してしまいます。
もはやこれまでか!
間一髪で駆けつけたのが、武田方の原大隅。
信玄の槍「青貝」を使い、馬上の謙信をめがけて突き出したが逸れ、謙信の馬を傷つけ、驚いた馬は跳ね上がり、謙信は去ったといわれています。
九死に一生を得た信玄が、刀を受けた軍配を見ると三度しか受けていないはずの軍配には七つの刀傷がありました。
これが、有名な三太刀七太刀のシーンです。
昼過ぎ、妻女山にいた武田軍の別働隊が、八幡原に到着すると形勢は逆転します。
上杉軍は、挟み撃ちをされる形となり、犀川を渡って善光寺に退き、激戦は幕を閉じます。
武田軍の裏の裏を読み、山を降りて戦を仕掛ける様を江戸時代の陽明学者・頼山陽が漢詩にしています。
『題不識庵撃機山図』
鞭聲肅肅夜河を過る
べんせいしゅくしゅく よるかわをわたる
曉に見る千兵の大牙を擁するを
あかつきにみる せんぺいの たいがをようするを
遺恨なり十年一劍を磨き
いこんなり じゅうねん いっけんをみがき
流星光底長蛇を逸す
りゅうせいこうてい ちょうだをいっす
不識庵は上杉謙信の法号、機山は武田信玄の法号です。
謙信は馬の鞭の音も控えつつ千曲川を渡り、信玄の陣中近くまで押し迫った。
夜が明けて信玄がみたものは謙信率いる大群。
遺恨を胸に十年に亘り剣を磨いてきた。
今まさに信玄に対して奇襲攻撃をしかけた謙信であったが、まるで流れ星のように信玄が危機一髪で逃れ、又しても謙信は長蛇(信玄)を逸した。
◆字解
鞭聲 馬に当てるむちの音
肅肅 静かなさま
大牙 将軍のたてる旗
遺恨 残念、無念
流星光底 流星の飛ぶ光のごとく剣を抜きて切り下げた時の光をいう
長蛇 目指す大敵、ここでは信玄を指す
この漢詩と三太刀七太刀のエピソードから、「長蛇を逸する七つ太刀」という歌詞が生まれます。