勝天34 『これぞ天下の上杉節 3番』:山形の歴史・伝統
山形の歴史・伝統 |
勝天34 『これぞ天下の上杉節 3番』
2009.02.07:Copyright (C) 鈴鳴草子 〜鈴の宿 登府屋旅館〜
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景勝 「3番じゃろう。」
・・・これぞ天下の上杉節 3番・・・
信玄死すとの報を聞き
涙にくれて声もなく
雪どけ待って上洛の
雄図はむなしく春に散る
兼続 「まず、信玄死すとの報を聞き 涙にくれて声もなく、ですが・・・。」
景勝 「元亀4年(1573)4月12日、武田信玄は、この世を去った。」
兼続 「左様でございます。
武田信玄は、三方ヶ原の戦いにおいて、徳川家康の軍勢に大勝しました。
さらに攻め続けようとした矢先、信玄は体調を崩し、進軍は止まってしまいます。」
景勝 「信玄は、病に冒されておった。」
兼続 「喀血するなど病状が回復しないため、信玄は甲斐への撤退を決断をしました。
撤退の途中、武田信玄は三河街道にて亡くなりました。53歳。」
景勝 「長く敵として戦ったとはいえ、謙信公にとってライバルの急死はショックだったであろうな。」
兼続 「そして、雪どけ待って上洛の 雄図はむなしく春に散る、と続くわけですが・・・。」
景勝 「雄図とは、なんじゃ?人気デュオか?」
兼続 「それは、ゆずでございます。」
景勝 「うむ。続けよ。」
兼続 「信玄の死から4年後、上杉軍は越中に侵攻します。
七尾城を落とし、七尾城の援軍にかけつけた柴田勝家率いる織田信長軍までも手取川の合戦で打ち破ります。
越中を平定した謙信は、いったん春日山城に帰還し、再度軍備を整えます。
次は、加賀を攻め、織田信長を倒し、京へ上洛するという大規模な計画が待っていました。
当時、織田信長は、京都から将軍・足利義昭を追放し、天下統一を目指していました。
義理がたい謙信公は、自らが天下を取ることより、将軍足利義昭(写真の人物)を奉じて幕府を再興することを目標としました。
武器や糧食、兵の準備をして、さぁ京都へ攻めのぼろうという矢先、謙信公は春日山城で急死しました。
天正6年(1578)3月13日、享年49歳でした。
雪がとけたら、京へ向け、兵馬を率いて向かうはずが、不運にもお亡くなりになってしまいました。」
景勝 「信玄が死に、謙信公がお亡くなりになった。激動の時代じゃな。」
兼続 「そして、我らの人生も激動の時代でした。」
景勝 「『雄図』は、信長を打倒し、足利幕府の再興を手助けしたいという謙信公の夢のことじゃな。」
兼続 「謙信公の思いとはうらはらに、時代は足利幕府の滅亡と天下統一へ向け動き出しました。
川中島で戦った2人が世を去り、群雄割拠の時代から天下統一の時代へと変わっていきます。」
景勝 「上杉家では、家督相続を巡り、わしと三郎景虎による戦となった。」
兼続 「御館の乱でございますな。我らは勝利し、今に至りまする。」
景勝 「謙信公の雄図、見てみたかったものじゃ。」