最上義光とやまがた:山形の歴史・伝統
山形の歴史・伝統
参加者絞込
ryu1 note
鈴鳴草子 〜鈴の宿 登府屋旅館〜
山形の観光旅行写真
山寺紀行 / Yamadera Blog
米沢上杉まつり公式ホームページ
南陽市観光協会
最上義光歴史館
山形蔵王の魅力満喫ブログ/ZAO blog
小野川温泉 吾妻荘
スタッフヤマガタン(ヤマガタン事務局)
伝国の杜 情報BLOG
山寺芭蕉記念館
天童市観光情報センター
かみのやま満喫ブログ
山形滝山ブログ / Takiyama Blog
(社)上山青年会議所
やまがたでの日々の暮らし・自然・風景
よねっこジェーピー
■
H O M E
■
メモ集
■
カレンダー集
■
ブックマーク集
■
イメージ集
最上義光とやまがた
最上家の第1代斯波兼頼(しばかねより)は、今から約650年前の延文元年(1356)にこの地にきて城をつくり、「出羽国最上郡山形郷(でわのくにもがみごうりやまがたごう)」という地名から「最上(もがみ)」という名字を名乗るようになったといわれています。
その兼頼から数えて11代目の当主(城主)が義光です。義光は慶長5年(1600)の慶長出羽合戦(けいちょうでわかっせん)の活躍で57万石という広大な領地をもつようになりました。
現在の山形県のうち置賜地方を除く全部と秋田県の南の一部です。また、義光は57万石を治める城として、これまで住んでいた山形城を三重の濠(ほり)で囲まれた大変大きな城につくり直し、家臣や商人・職人たちが生活する城下町を整備しました。
この時に山形市の原型がつくられたといわれています。義光は現在の山形市の繁栄の礎を築いたといえます。
2005.07.14:Copyright (C)
最上義光歴史館
ゲストさんようこそ
ID
PW
■
当サイトについて
■
参加者数
合計 18人
■
記事数
公開
1,461件
限定公開
0件
合計 1,461件
■
アクセス数
今日 1,661件
昨日 1,133件
合計 1,842,988件
■
ケータイサイト
powered by
samidare
system:
samidare community
その兼頼から数えて11代目の当主(城主)が義光です。義光は慶長5年(1600)の慶長出羽合戦(けいちょうでわかっせん)の活躍で57万石という広大な領地をもつようになりました。
現在の山形県のうち置賜地方を除く全部と秋田県の南の一部です。また、義光は57万石を治める城として、これまで住んでいた山形城を三重の濠(ほり)で囲まれた大変大きな城につくり直し、家臣や商人・職人たちが生活する城下町を整備しました。
この時に山形市の原型がつくられたといわれています。義光は現在の山形市の繁栄の礎を築いたといえます。