最上義康が供養さている修理塚:山形の歴史・伝統

山形の歴史・伝統
最上義康が供養さている修理塚


山形県鶴岡市の下山添には、最上義康と従者が首を
跳ねられた場所があり、現在も供養されている。

最上義康と言えば、最上義光の嫡男にあたり
長谷堂城合戦においては、最上義光の命により
伊達家に援軍を送るように使者として行かせた。

最上義光の右腕であったが、家督相続では家親が
最上家を継ぎ、義康は暗殺されてしまった。
謎多き事件だが、この地で暗殺され埋葬されたのは
確かなようだ。

もうちょっと詳しい話>>修理塚と首なし地蔵堂
2008.10.24:Copyright (C) 山形の観光旅行写真
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