六椹八幡宮《社殿》山形市鉄砲町:山形の歴史・伝統
山形の歴史・伝統 |
六椹八幡宮《社殿》山形市鉄砲町
2013.12.23:Copyright (C) スタッフヤマガタン(ヤマガタン事務局)
六椹八幡宮(むつくぬぎはちまんぐう)
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山形市観光協会より
市北の両所宮と共に、南の六椹八幡として、古来から山形城主や民衆の信仰を集めてきた神社である。
社殿によると、大野東人が八幡宮を勧請したとあるが、信ずることはできない。前九年の役に、源頼義がこの地に駐屯し、里人にその地名を聞いたところ、「椹の古樹が六本あるので、古来より六椹と称した」と聞き、頼義は、「六椹は、陸奥苦抜きに相通ず。これ賊をせん滅する前兆なり」と大いに喜び、戦乱後の康平六年(1063)、社殿を建立したと伝えている。さらに延文元年(1356)、斯波兼頼が山形に府を開き、同社を鎮護の神として社殿を再建したという。その後代々の山形城主も祈願所として祟敬したと伝えている。
その後社殿は、寛永8年(1631)に、山形城主鳥居忠恒が建立したと伝えているが、拝殿は宝永3年(1707)の再建であることが、棟礼によって知られる。
なお、この神社は、柏倉八幡神社から分祀されたとの説もある。