国分寺薬師堂(山形市内)の屋根。あー、晩秋ですね。:山形の創作・芸術

山形の創作・芸術
国分寺薬師堂(山形市内)の屋根。あー、晩秋ですね。


この週末・・・なんだか風邪を授かってしまった様で、関節が重苦しい感じだ。
その様な訳で、週末恒例の犬っ子達との山散歩は中止とした。

昨日(11/12)、植木市で有名な山形市内にある国分寺薬師堂
(通称:お薬師様)の屋根瓦がけっこう綺麗だった。
こういう姿を見ると、「あー晩秋だなぁー」という気になる。

国家が建造した歴史と由緒ある<国分寺>であるに関わらず、

その境内には<山の神>の碑がちゃーんとあるのに、初めて気がついた。

いくら「ホトケ様」でも、「ヤマノカミ」の祟りが怖かったのだろうか?
(い、いや・・・・「ヤマノカミ(イワユル、カミさん)」はメチャ怖いっす;;;)
ま、詳しい経緯は分からないが、少なくとも、ネイティヴというか、
地のモノや地のカミも大事にしたのだろう。

そう言えば、「覇権者は、自分がは覇権者だった事を忘れれてしまう。」と、誰かが。。。
そう言えば、「歴史は権力者が作る」なんていう事も聞いた様な。。。。
♪:JazzやBluesだって、こんな力学というか、作用で生れたのだろうし。。。
ま、そんなこんなが、大なり小なりあるからこそ、その地の独特な風土とか文化も
ちゃーんと醸成されるっつーモンだろう。

自論であるが、文化って、その社会が内包する矛盾が飽和した際の浄化作用
(それを浄化するための行動とその形式・・・)と言えるのモノだろうと。
(平らく言えば「ガス抜き」かなぁ???)
だから、それなりの文化が発生し、あるカタチ(形式)にまで成就する過程には
「産みの苦しみ」と「育つ痛み」を伴っているモノだろうと思う。

ある文化の形式的表象的な「美しさや眩しさ」に目と心を奪われるも良し、
その文化の背景にある「痛みと苦しみ」に想いを寄せてみるも良し・・・である。
これは、「美味しい牛肉」と「屠される命」の関係に、似ているかも知れない。。。

午後は、週末の山散歩の代りにという事で、
犬っ子達2頭引きで近くの農道をゆっくりと長い時間をかけて歩く。

計2群れのハクチョウが、啼きながら南下していった。


風邪っぽいので、少しだけ晩酌をして温ったまろうっと。(^-^);
この記事へのコメントはこちら
題名


本文


作成者


URL


画像

編集用パスワード (半角英数字4文字)


 ※投稿後すぐに反映されます。
ゲストさんようこそ
ID
PW

 合計 7人
記事数
 公開 255件
 限定公開 0件
 合計 255件
アクセス数
 今日 303件
 昨日 46件
 合計 340,430件
powered by samidare
system:samidare community