水分たっぷりのミゾレ雪が。。。:山形の創作・芸術
山形の創作・芸術
参加者絞込
パッチワーク教室『糸ぐるま』
ふらっと工房ら・ら・らのブログ
「アトリエ・コロボックルの森」のブログ
chihaya* design
スタッフヤマガタン(ヤマガタン事務局)
陽Cafe(ひなたカフェ)|亥子屋商店(いのこやし..
やまがたでの日々の暮らし・自然・風景
■
H O M E
■
メモ集
■
カレンダー集
■
ブックマーク集
■
イメージ集
水分たっぷりのミゾレ雪が。。。
やはり荒れた天気になって来た。日の出(06:55)の30分前のほぼ真っ暗な空から水分たっぷりのミゾレ雪が。。。
今日の画像は、あまりにも・・・だったので、少しオーバーアクション気味にレタッチしてみました。ちなみに、元画像は以下の通りです。
ところで、話はいきなり変わるが、日本には、俳句とか連歌という文化がある。
今は、作品の内容についてどうこうという事ではなく、うまく言えるかどうか分らないが、その連綿性というか、継続性というか、に、注目している。
っというのは、誰かが読んだ句や歌を受けて、更にまた誰かが歌う、それをまた誰かが受けてまた歌う。そんな事をしつつ、想いのバトンタッチと変容や洗練を楽しむ・・・なんて事があるが、それがなんだか良い。先人の想いと自分の想いが繋がっている訳だし、それがまた後輩に繋がりつつ、時代と共に変容していく訳だし、加えて、先を歌う人と後を歌う人が、同時代人とは限らない事があるのも非常に面白い。
近年のオシゴト界では、差別化とか個性化などと、無理繰り「アンチ」をひねり出す場合も多い。もう少し大袈裟に言えば、相対的単純差別化とか、同:個性化とも言えるかも知れないが、昨今の経済環境下や社会趨勢上、仕方ないのかも知れない。そして、それはそれで「アプローチ」のひとつだろうとも思う。
でも、「アプローチ」のひとつであれば、別のアプローチもあって良い訳だし、特に、地域文化(伝統系のみならず、日々の生活文化)との関係性を重視するオシゴト界などでは、俳句とか連歌のごときアプローチをもっと取り入れても良いのではなかろうか???、と思うふしが若干ある。
2010.01.13:Copyright (C)
やまがたでの日々の暮らし・自然・風景
▼
この記事へのコメントはこちら
題名
本文
作成者
URL
画像
編集用パスワード
(半角英数字4文字)
※投稿後すぐに反映されます。
ゲストさんようこそ
ID
PW
■
当サイトについて
■
参加者数
合計 7人
■
記事数
公開
255件
限定公開
0件
合計 255件
■
アクセス数
今日 507件
昨日 46件
合計 340,634件
■
ケータイサイト
powered by
samidare
system:
samidare community
今日の画像は、あまりにも・・・だったので、少しオーバーアクション気味にレタッチしてみました。ちなみに、元画像は以下の通りです。
ところで、話はいきなり変わるが、日本には、俳句とか連歌という文化がある。
今は、作品の内容についてどうこうという事ではなく、うまく言えるかどうか分らないが、その連綿性というか、継続性というか、に、注目している。
っというのは、誰かが読んだ句や歌を受けて、更にまた誰かが歌う、それをまた誰かが受けてまた歌う。そんな事をしつつ、想いのバトンタッチと変容や洗練を楽しむ・・・なんて事があるが、それがなんだか良い。先人の想いと自分の想いが繋がっている訳だし、それがまた後輩に繋がりつつ、時代と共に変容していく訳だし、加えて、先を歌う人と後を歌う人が、同時代人とは限らない事があるのも非常に面白い。
近年のオシゴト界では、差別化とか個性化などと、無理繰り「アンチ」をひねり出す場合も多い。もう少し大袈裟に言えば、相対的単純差別化とか、同:個性化とも言えるかも知れないが、昨今の経済環境下や社会趨勢上、仕方ないのかも知れない。そして、それはそれで「アプローチ」のひとつだろうとも思う。
でも、「アプローチ」のひとつであれば、別のアプローチもあって良い訳だし、特に、地域文化(伝統系のみならず、日々の生活文化)との関係性を重視するオシゴト界などでは、俳句とか連歌のごときアプローチをもっと取り入れても良いのではなかろうか???、と思うふしが若干ある。