私の「異変」1:ヤマガタンAnnex|山形の農業〜農林水産
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私の「異変」1
2019.02.10:Copyright (C) ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
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「お前が脳出血で突然倒れたこと、そこから頑張って今の生活を再開できたこと。その経験は貴重だ。他の所ですでに書いていることは知っているけど、このブログでも掲載してほしい。多くの人たちの参考になると思うから。」
既にあの出来事があってから1年と4カ月になろうとしている。
私は今も引きづりながら生きているけれど、だから決して「過去」のモノとはなっていないけれど、彼が言うように、私の体験が他の方々のお役にたてるとしたら、むしろありがたいです。ここにも掲載いたします。
「異変」(1)と(異変}(2)があります。
異変(1)
異変が起きた。世の中のことではない。この私の身体のことだ。
昼食後のガランとした地元のレストランの一室。東京から来た8人ほどの青年たちを前に置賜自給圏の取り組みについて話していた時だった。話しながらだんだん気持ちが悪くなって来た。昨夜の酒が良くなかったのか。最初はそう思っていたが、そのうち思うように言葉が出なくなってきた。身体の芯から力が抜けていく脱力感も。話すのも難儀になって来た。これはおかしい。こんな感じは今まで経験したことがない。何かが始まっている。
「話は中止だ。申し訳ないが今からすぐに俺を病院に連れて行ってくれ。」
青年たちに、急いで私を地域の中核医療を担う置賜合病院に運んでくれるようお願いした。家族に異変を知らせようにも、あれほどひんぱんに使っていた携帯電話の使い方が分からない。気が動転しているからか?どうもそれとはどうも違うようだ。これも異変の一つか。車は15分ほどで病院に着いた。救命救急のベッドの上。看護師たちが慌ただしく私の周りを動いている。「脳出血ですね。」との医師の声を聞く。私はどうなってしまうのか。ぼんやりとそんなことを考えていた。
幸運だった。きっと近くを神様が通り過ぎようとした時だったに違いない。その衣服のどこかにしがみついたのだろう。なんとかいのちは繋がった。
翌日には集中治療室から個室にまわされ、やがて間を置かずに4人部屋に移っていった。脳出血で倒れたと聞けば助かっても言語障害とか、機能障害とかの何らかの重い後遺症がつきものだ。いままでもそんな実例をたくさん見て来たし、実際、友人にも重篤な後遺症に苦しんでいる人がいる。私の場合は処置が早かったからだろう。幸いにも話すこと、歩くこと、書くことなどの基本動作への大きな影響はなかった。ただ、計算能力、漢字を書く能力には少なからぬ影響が出ていた。
「5+2=」などの瞬間的に答えが浮かぶものはいいのだが、「15-7=」のように繰り上がり(繰り下がり)のある計算はできなくなっていた。なんぼ繰り上がったのか、繰り下がったのかが瞬時に忘れてしまい、覚えておれない。だから計算ができない。
他にも漢字を書く能力は1年生なみになっていたし、新聞は読めても記憶に残らない。果たしてそれらは回復するのか。傷ついた脳に力が戻って来るのか。
「三ヶ月の壁」と言うことを聞いたのは倒れて間もない頃だ。失った能力が回復しやすい時期は三ヶ月間。それを過ぎてもさらに3カ月はお穏やかに回復するが、半年を超えたらなかなか難しくなると言うものだ。どれだけ医学的根拠があっての言葉なのかは分からないが、頑張る意欲を掻き立てるに十分だった。やるしかない。
1ヶ月間は小学1年生の計算ドリルと格闘していただろうか。でも、いくら頑張っても進歩が感じられなかった。もともと肝心の脳の一部が障害を受けたのだから仕方ないことなのか。いくら努力をしても無駄で、今はできない現実を受け入れるしかないのか。暗闇のなかに、実際にないかもしれない出口を探すような心細さを感じていた。それでも起きてから寝るまでのほとんど全ての時間をこれに充てていた。私にはそれしかなかった。
そして、ある日突然に・・あれっ、もしかして・・。繰り上がり、繰り下がりの計算の手掛かりが見つかったかもしれない。突破できたかもしれない。そんな感じが生まれた。それが確信に変わった時には、病院の薄暗い食堂で一人、顔を伏せて泣いた。暗闇から抜け出す小さな出口が見つかったこと。障害は克服できる、そんな希望が見つかったこと。それがうれしくて、うれしくて・・・顔を伏せたまま、ぼろぼろ涙を流して泣いた。
(続く)