赤茶けた畦畔:ヤマガタンAnnex|山形の農業〜農林水産

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赤茶けた畦畔


田植えが終わった。今はあれほどあった朝日連峰の山々の残雪もすっかり姿を消し、いつの間にか濃い緑になっていて、一面に広がる淡い緑色の早苗田とのいい組み合わせとなっている。田の畦には「春シオン」、「忘れな草」、「オオイヌノフグリ」、「ジシバリ」などの色とりどりの野花が咲き誇り、いま田園は美しい。
ところが近年、そんな緑の風景の中に赤茶けた異様な光景が目につくようになった。畦の草という草が枯れているのだ。原因は除草剤。新緑の春なのに・・・と、見るものの心を荒ませる。
葉や茎は風雨が畦を直にたたくことから守り、その根は土をつなぐことでその崩壊を防いでいる。これらのことは農民ならば誰でも知っていることだ。畦の草は刈るものであって、根から枯らしてしまうものではないのだがこの光景は年々広がる傾向にあるのだから切ない。
この背景には1農家あたりの耕作面積の拡大がある。草を刈りきれないのだ。管理能力を超えた規模拡大と、少しでも手間を省く選択としての除草剤。
農民をこのように追い立てるものは、グローバリズムを背景に、「成長産業」として農業を位置付け、小さい農家の離農をすすめながら大規模農家・生産法人・企業の参入を促進しようとする政策がある。米価も今から40年前の価格まで下がり、とても経営としてはやっていけない。小さな農家は米作りから、やがて農業そのものから離れて行った。水田は残された農家にどんどん集まって行った。その農家が断れば、水田は荒地に戻っていく。残った農家はそれが分かるだけに無理を重ねて引き受けようとしてきた。そんな中での除草剤だ。まわりきれないのだ。その政策によって産み出されたのは赤茶けた畦畔だけではない。大規模化にともない農法は化学肥料と農薬に一層依存するようになった。農法の省力化がすすみ、環境政策の後退がもたらされている。更にその農家が倒れたならば村にその代わりはないという状態の中にある。生産基盤がとても危うい。どうなっていくのだろう。畦畔の草はそんな明日の不安も暗示させる。
少しでもこの風潮に抗って行きたい。畦畔の草は散髪しよう。大げさに聞こえるかもしれないが、そこに農業の未来だけでなく、いのちの世界の可能性が広がっているように思えるからだ。そう思う者がまず率先して草を刈り、この美しい田園風景を守っていくことだ。本気でそう思うよ。
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