それぞれの春 2:ヤマガタンAnnex|山形の農業〜農林水産
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それぞれの春 2
苗箱への土入れが終わった。30cm×60cm×3cmほどの箱に2cmほどの厚さで土を入れる。やがてそこにパラパラと種を撒くのだが、その土入れ、数が多いためになかなか難儀だ。今年の水田面積は350a。10aあたり24枚を準備するため、総数はおよそ850枚となる。近所の正雄さんに手伝ってもらってようやく終わった。一方で種籾の芽だしをはじめている。温湯法による種子消毒のあと、水に浸けていた種籾を32度の温度でおよそ一昼夜。硬い殻を破って小さな芽が顔をだした。いのちが動き出した。あとは秋の稔りに向けてどんどん成長していく。俺たちの仕事はその成長を助けるだけ。苗の成長にあわせて俺たちの暮らしが営まれていく。いのちが動き出したということは、作物にあわせる、そのような日々が始まったということ。春だ。
今年は昨年より40aほど田んぼが増えた。杖を突きながら肥料を撒く82歳の百姓、栄さんから託された田んぼだ。自分では今年、20aほどを耕すという。
「飯米ぐらいは自分で作らなくちゃなぁ。百姓なんだからよ。」
そういいながらすでに種まきの準備は終わっていた。まだまだ栄さんは現役だ。
我が家の本家の市さんが74歳で亡くなったのは昨年のこと。600aの田んぼは48歳の総ちゃんの仕事となった。土日のたびに、マチで公務員になっている叔父が手伝いに来てくれるが、まだ独身のために、一人でしなければならないことも多く、何かと大変だ。長身でなかなかの男前。気立てもいい男なのだが他の農家同様、縁がなかった。大きな仕事だけでなく、細かな日々の管理作業が多いのが農作業。それらは親父の担当だったが、今年からは全て総ちゃんの仕事となる。
隣の建ちゃんの家に農業を手伝うために次男が帰ってきた。建ちゃんは74歳。400aの田んぼを耕している。奥さんは足が悪く、働けない。長男はずっと体調が悪いままだ。建ちゃん自身もヒザに故障があるのだが、それでも何とか、足を引きずりながら一人で全ての農作業をこなしていた。
「父ちゃんを助けたくて・・」
地元の高校を卒業してから20年余年間勤めていた自衛隊を辞め、嫁さんともども帰ってきた。
「建ちゃんは立派な人だからねぇ。そのうしろ姿を見て育った子どもだもの・・、それにしても感心だねぇ。」
建ちゃんの後について農作業に励む次男夫婦を見ながら、村の人たちはあったかい気持ちになっている。
そして我が家。今年は息子家族がマチのアパート暮らしに終止符を打ち、我が家のそばに小さな家を建て、引っ越してくる予定だった。
しかし、その計画も原発によってしばらく様子をみることになった。
それぞれの春。それぞれの思いや人生をのせて季節は動き出した。
2011.04.20:Copyright (C)
ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
うーん、それぞれの春、
お手伝いに飛んで行きたいような気持ちにさせられました。
去年と比べたら、天地がまさにひっくり返ったようなそれぞれの春が来ていますね。
去年は私も、種モミの芽出しを温度計を片手に固唾をのんで見守っていました。
居間の窓辺には野菜の苗を育てるプラスティックのお皿が並び、霧吹きで水を掛け、夜は気温を下げるために玄関先へ運ぶなど、野菜作りに専心していました。
今年は種々の事情で、野菜作りは直播だけと決め、今は、新しい仕事に取り組む傍ら、日本への支援の輪を広げる活動に一日の半分を割いています。慣れない仕事に慣れないボランティアの仕事が重なって、全然気持ちに余裕がなくなります。
今日ドイツはイースターの休日で、「仕事はしない」と決めて自分のことだけをしています。3月半ばから、ずっとこんな日がなかったので、菅野さんのところへも書き込みができませんでした。
ここ1カ月ほど、素晴らしい晴天が続き、初夏のような陽気。雑草が畑を素晴らしい花畑に変えています。被災地が冬の天候だと聞くたび、取り替えてあげたいと毎日思って暮らしています。
ドイツからなにをしたらいいのか ? もう一度、原点から考え直そうと思っていた矢先、親戚から福島民報が送られてきました。記事の一つ一つに胸を打たれました。
これからの日本をどうしていくのか?もっといろいろなことを話し合える仲間がここにいたらと、思えてなりません。
2011.04.22:くみ:
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籾蒔き手伝い・・・。
※ まったく自分の事ですが・・・。
よく頑張ったから、書きます。
今日、10数年ぶりに、籾蒔きをしました。
「あなたの所は、苗を買っているんでしょう。それなのになぜ?」
「実家の父が、脳梗塞、2年置いて心筋梗塞になり、もう田んぼの仕事が出来なくなりました。 本人はやる気はあるのですけど身体がついていかなくなりました」
我が家で籾蒔きしていた頃となら、ずいぶん機械も変わって簡単にできるようになっていました。
籾蒔きしたら、すぐに田んぼに出して並べます。
10数年前に比べたら、手抜きのまたまた手抜きやな〜って思いました。
妹夫婦と私の3人で、約200枚、今日仕上げて、田んぼ(苗代)に並べて、午前中でやってしまいました。
私は、自分でも、段取り良く早く出来たな〜って思いました。
我が家では、息子が代掻きをしていました。
夕方、息子と一緒に「今日は二人ともよく頑張ったな〜」って・・・、ニッコリ!
このつけは、私は明後日頃かな〜って、覚悟しています。
息子は、たぶん今夜寝たら元気になるんですよね。
歳の差を感じています。
2011.05.05:山さくら:
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今年は昨年より40aほど田んぼが増えた。杖を突きながら肥料を撒く82歳の百姓、栄さんから託された田んぼだ。自分では今年、20aほどを耕すという。
「飯米ぐらいは自分で作らなくちゃなぁ。百姓なんだからよ。」
そういいながらすでに種まきの準備は終わっていた。まだまだ栄さんは現役だ。
我が家の本家の市さんが74歳で亡くなったのは昨年のこと。600aの田んぼは48歳の総ちゃんの仕事となった。土日のたびに、マチで公務員になっている叔父が手伝いに来てくれるが、まだ独身のために、一人でしなければならないことも多く、何かと大変だ。長身でなかなかの男前。気立てもいい男なのだが他の農家同様、縁がなかった。大きな仕事だけでなく、細かな日々の管理作業が多いのが農作業。それらは親父の担当だったが、今年からは全て総ちゃんの仕事となる。
隣の建ちゃんの家に農業を手伝うために次男が帰ってきた。建ちゃんは74歳。400aの田んぼを耕している。奥さんは足が悪く、働けない。長男はずっと体調が悪いままだ。建ちゃん自身もヒザに故障があるのだが、それでも何とか、足を引きずりながら一人で全ての農作業をこなしていた。
「父ちゃんを助けたくて・・」
地元の高校を卒業してから20年余年間勤めていた自衛隊を辞め、嫁さんともども帰ってきた。
「建ちゃんは立派な人だからねぇ。そのうしろ姿を見て育った子どもだもの・・、それにしても感心だねぇ。」
建ちゃんの後について農作業に励む次男夫婦を見ながら、村の人たちはあったかい気持ちになっている。
そして我が家。今年は息子家族がマチのアパート暮らしに終止符を打ち、我が家のそばに小さな家を建て、引っ越してくる予定だった。
しかし、その計画も原発によってしばらく様子をみることになった。
それぞれの春。それぞれの思いや人生をのせて季節は動き出した。