ヤマガタンver9 > 京都の蝉・再掲

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▼京都の蝉・再掲

暑い日が続いている。 
夏と言えばセミ。今が盛りに鳴いている。ミンミンゼミ、アブラゼミ、ヒグラシ・・。暑さの中、彼らはますます元気だ。でもこれをうるさいとは思わないのはどうしてだろう。少なくてもそれらの鳴き声は暑さでイライラしがちな我々にとっても優しく響いていて、受け入れやすいものだ。決して攻撃的ではない。
「閑さや岩にしみいる蝉の声」
これは松尾芭蕉が1689年に出羽の国(山形市)の立石寺で詠んだ句だ。
その時のセミはニイニイゼミだと言われ、おそらくその日も盛んに鳴いていたと思われるが、それをやかましいとは思わずに「閑さや」としたのは、その俳人の心の在り方を物語っているのだろうが、セミの鳴き声には旅先の詩情を誘う、えもいわれぬ力があるように思える。
さて、同じセミでも山形や東北のモノとは全く異質な鳴き声を聞いたのは2年ほど前の夏のことだった。暑い京都の町を歩いていた時のこと。ガシガシガシガシ・・・。かなり大きな鳴き声が街中に響いている。これは何の鳴き声だ?えっ、セミ?これがセミか!まったく風情がなく、ただうるさいだけだ。ガシガシガシ・・それにまわりと協調せずにあたりを圧倒しようとする。
これを聞いて、「閑さや」とはどんな俳人の豊かな感受性をもってしてもならないだろう。
話は変わるが、京都は常に日本史の中心に君臨してきた。東北、羽前(山形県)などというのは、その京都に言わせれば蝦蟇(がま)の一字をもって「蝦夷(えぞ)」と蔑んできたように、人間の住むところとは考えていなかったようだ。歴代の京都の朝廷が送って来たのは征「夷」大将軍に象徴されるように、東北は攻めの対象、征伐の対象、征服の対象でしかなかった。侵略の末に彼らが奪っていったのは金、鉄などの鉱物資源に、馬、それに民人。強制的に連れて行って奴隷として使った。時には当時の中国に貢物として差し出したりしたという。それにもかかわらず一度たりとも東北、山形からは、京都に攻め入ったなどということはなく、幕末の会津藩のように、逆に京都を守ってやって悪者にされてしまうという貧乏くじばかり引かされてきた。
ガシガシガシガシ・・。この声の中にも、京都に共通する傲慢さを感じ、さらに不愉快になってしまうのは東北人としての俺の狭隘さのせいだろうか。 
 大正大学出版部 月刊「地域人」所収 拙文 抜粋
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