▼風景の構想力1998/05/01 00:00 (C) 羽田設計事務所
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風景の構想力 街並み
現代の都市や建築を作り出している空間の原理は、ヨーロッパを中心とする近代産業社会の成立と密接に関連づけられる。近代的な都市計画や建築は、つねに、産業社会の新しい権力の要請を受け入れてきた。そのためには空間を均質化する必要があった。均質化することによってはじめて、捜査がより容易になったからである。日本では明治期に近代化を受け入れて以来、かつての都市がもっていた、長い時間の中で醸し出された、場所や空間の濃密な意味が次第に剥ぎ取られてきた。特に戦後は、効率優先の経済合理主義に従って、機能的で操作可能な、無機質な空間に急速に置き換えられた。その結果、現在見られるような個性のない画一的な都市ができた。
産業社会が登場する以前のヨーロッパの都市は、絶対的権力者によって支配され、「権力の空間化」が目に見える形で空間に翻訳されていた。都市は権力者の意思や、世界観を表すと同時に、美意識の顕現の場であった。またそれを誇りにもしてきた。そのような支配関係と欲望で作られたことを脇に置いて、パリやウィーンの街並みや景観の統一的な美しさを、私たち日本人は礼賛してきた。
しかし最近、古典的な均整感を持ったヨーロッパの都市美だけを模範にし、日本の都市の現状を批判するか、あるいは無関心を装うだけでは、問題の解決にならないことに、ようやく気づき始めた。長い間放置されてきた、近代化によってもたらされた混乱を、日本固有の文化のなかで調停し、融合させる動きが、ようやく端緒につき始めたといってよい。この山形でも景観や街並みに対する関心が、このところ急速に高まりつつあるのはその流れであろう。衣食足りて礼節を気にし始めたというところだろうか。絶対権力者のいない、デモクラシーという現代の制度のなかでは、新しい規範を必要とする難しい仕事だ。景観をコントロールし、どこまで多様性をもった調和が実現できるか、今生きている世代の軽重が問われていると言ってよい。
一方、七十年代の始め頃から、歴史的な街並みや建造物の保存運動が盛んになり、妻龍や馬龍の宿場町の保存や、倉敷アイビースクエアのように、紡績工場をホテルとして保存活用されたことをきっかけとして、伝統的な街並みや建造物を評価し再生利用する動きが始まった。全国各地に広まったこの運動は、ある一定の成果を収めてきたのは事実である。しかし、文化財としての価値が広く認められ、文化財保護委員会のお墨付きを得られた、ごくごく少数の街並みや建物を除けば、大半は無惨にも壊され、捨てられてきたのが現実である。もっともっと多くの建物が残されるべきであった。現在、山形では江戸や明治どころか、昭和戦前の建物すら風前の灯となりつつある。このまま進めば、やがて、歴史をとどめる手掛かりのほとんどない、過去の記憶を失ったような街ができる危険がある。江戸から明治、大正、昭和、それに平成とつながる、街並みや建物だけでなく、自然を含めた風景を、どのような形で継承し未来に繋げていくか、関心をもつ人は少数ではないはずである。ながい間、スクラップアンドビルドを繰り返してきた結果、歴史の厚みとは無縁な、奥行きや壁のないぺらぺらな街になりつつあることを危惧する。
つい最近、山形市の老舗旅館、後藤又兵衛旅館の解体を巡る動きも、まさにその事を予感させる象徴的な出来事であった。旅館が廃業した後、建物が壊されることに反対する運動が起こった。保存活用のために移築などの様々な意見やアイデアが出され、一時は、部分的ではあるが保存活用される可能性も見え隠れはしたが、実際は跡形もなくごみとなってしまうことになった。この保存運動に多少なりともかかわりを持った人間の一人としては、残念な結果である。ごく一部でも残す意思さえあれば、わずかな金で残せる可能性は十分にあったと思う。それにしても、三百五十年の歴史を持ち、住時を偲ばせるまとまった景観をもつ、数少ない建造物の一つが消失してしまうことは、悔いが残る。町の歴史をとどめる建造物がつくりだす景観は公共財である。なにがしかの形でも残そうという努力が、関係者の間であってよかったはずである。登録文化財の一時調査にも上り、その十分な価値を備えながら、山形の歴史を物語る建物がまた一つ消えてしまう。
都市計画が専門の東北芸術工科大学の高野公男教授によると、山形は戦災に遭わなかった町の割には、歴史をとどめる街並みや建造物が少ないそうである。それはいったい何を物語っているのだろうか。街づくりとは、歩道をきれいなタイルで舗装したり、電柱を地中化することだけではない。いわんや、登録文化財としての価値をもった建物をみすみす壊してしまうことではないはずである。町の歴史を語る建物を大切に保存し、その記憶を語り継ぎながら、その中で生き続けるいのちを永く後世に伝え、人々との豊かな交感を生み出すことは、大切な仕事である。私達はスクラップアンドビルドを安易に繰り返した過去を率直に反省する必要がある。今日こそ、均質で匿名性を持った空間を、意味ある場所に変え、深い壁と奥行きを感じさせる、豊かな表情を持つ風景を作り上げることが求められている。そのためには、先人たちの暮らしぶりや歴史を物語る家並みが、日頃から丹念に保存され、大切に利用される気運を、盛り上げていくことは大切であると考える。街の至る所に、これらの建物が散りばめられることで、新しく作られる建物も、やがて深い配慮を持って作られ、慎みのある表情に変えていく責任が私たちにはある。
現代に生きる人々は、インターネットに代表されるメディアによって、住む場所を選ばないライフスタイルになりつつある。だから、現実に生きている都市に関心がないという人たちもいる。しかし、そうした仮想現実的な体験が増えれば増えるほど、自然の光とか空気や風、それに目の前に広がる景色や景観といった、体で直接体験しうる空間の質がかえって、大切になってくるはずである。かつての世代までが生きた、あの濃密なまでの共同体的空間とはちがった、この現実に体験しうる都市や、建築を豊かな風景として後世に伝えるためにも、私たち世代の構想力が問われている。