▼斯波兼頼(しばかねより)2017/01/02 07:00 (C) 最上義光プロジェクト
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正和五年(1316)〜康暦元年(天授五年/1379)
奥州管領・斯波家兼の二男。羽州探題最上家の初代当主。延文元年(1356)41歳のときに山形に入部し、翌年に山形城を築いた。従四位下出羽守に任ぜられ、出羽管領・国司・按察使将軍に補されたという。兄の斯波直持は奥州管領を継ぎ、奥州探題大崎家の初代となった。山寺立石寺、宝憧寺、千手堂吉祥院、六椹八幡神社など多くの寺社の再建に努め、民心の安定を図った。晩年は他阿元愚(たあがんぐ)大和尚に帰依して時宗の僧となり、其阿(ごあ)の法名を名乗った。嫡男の直家に家督を譲ると、山形城内に草庵を結んで信仰生活を送り、この草庵がのちに光明寺となった。