ヤマガタンver9 > 北館利長(きただてとしなが)

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▼北館利長(きただてとしなが)

 天文十七年(1548)〜寛永二年(1625)

 大学助。慶長出羽合戦の後、庄内が最上領となると狩川城(庄内町狩川)の城主に任じられ、広大な原野であった庄内平野を水田とすべく、長年に渡って現地の調査を行った。結果、立谷沢川から堰を掘って水を引くしかないとの結論に達し、この事を主君である最上義光に提案した。一部の家臣からは反対意見が出たが、新関久正の賛成により工事を開始、約半年で延長10キロメートルを超える堰を完成させた。この堰は、北楯大堰と呼ばれ、現在も庄内平野を潤しており、利長は水神様として、北舘神社にまつられている。


2017/06/25 07:00 (C) 最上義光プロジェクト
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