▼peace2005/09/07 09:55 (C) おさむ茶マイルーム
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では戦争の名のもとに人が直接恨みのない他国人を殺めていないか、ということには、ノー!
いやそもそも、他国人と言う意味での、国対国の争いという戦争ということが、個人の思いや意志による攻撃破壊、という形に変わってきている。
それにしても、核廃絶と叫んでいったい何年になるのか。
世界でたった一国、同時に2発落とされて。その憎むべき相手が今一番の友人だというのだから。
今もその友人はガンマンよろしく腰に無数の核をぶら下げては、自分より多い国がないのにもかかわらず、他者へ、不安だから持つな減らせと指さしている。どうだすでに持っている仲間のみんなよ、おれの言うとおりだろう、と。
そんな友人の腰にへばりつかなくては非核3原則などのお綺麗も言えない国のことは世界周知の事実。ならばといえど本当の意味の独立などしたなら・・
そういう現実のなかに我々は幸か不幸か今平和を享受して生きている。
正義というものは、どこかに必ず然として動かず存在しているというのでもなく、みなで辛かった苦しかった悲しかったと涙拭きあえば、それで人間社会が浄化され正されるもので無いようなのだと、過去が教えてくれた。
時あたかも選挙の真っ最中、メディアの喧騒のなかでは平和の関心薄れつつ、いつでも人は今を生きる手だてで精一杯なのではなかろうか。あの時の人たちの様に。
だから、だからこそ・・・。