▼☆命いっぱいの一期一会が。2010/03/30 10:50 (C) やまがたでの日々の暮らし・自然・風景
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一昨日(3/28)、県内にお住まいの知人(いつもお世話になってます)の、
「名取り披露」を兼ねた日舞の会(仙台)に駆け付けた。
アウトドア志向の<Shidareo>なのだが、
ネイチャー(いわゆる”自然”)に魅せられる一番の理由は、
おそらく、まるでカミの下(モト)で繰り広げられる
<命の戯れ>というものであろうか???。
どんな小さな生き物も植物も「全てがホンモノ」であり、
そしてそれらが、捕食・被捕食の関係をも含め、
四季の移ろいとかその日の天候とかによって互いに迷いつつも、
でも、その瞬間×瞬間、命いっぱいの一期一会を行っているが、
それが、私にとって「美しい」と感じられるからだと思っている。
さて、駈け付けついでに「勝手に専属カメラマン」を請け負ってしまった。
いつもはアウトドア志向の<Shidareo>であるが、今日は少し勝手が違う。
暗い会場と外光よりもずっと暗いステージ。
おまけに、狭い椅子に縛られて身動きも取れないし、
前列の女性の、見事にデコレーションされた
大きなヘアースタイルに気もそぞろとなるし・・・と大変;;;。
出し物は、新歌舞伎18番のひとつにもなっている<鏡獅子>という曲。
よっしゃ!
相手が<獅子>なら、こっちは<ハンター>だ!と決め込み、
スコープならぬ「ファインダー」を何故か両目で覗きつつ、
引き金ならぬ「シャッターボタン」に人差し指を添えて遊び部分を引き絞り、
Shootするタイミングをひたすら待つ事に。
(まるで、精密射撃か、大物猟のノリである;)
日舞の世界は、
単純に捉えるとアウトドアの世界とは全く逆とも言え、
究極のインドア世界で、極めて人為的・作為的世界。
伝統的な慣わしや序列と言ったけっこう厳しい規範が
互いの黙約の中で守られている。
太夫の唄や伴う三味はじめ、お囃子までもがアウンの呼吸で進む。
そんな中で、いっときの<舞>が始まった。
そして、そこで<Shidareo>が見たものは・・・、
宮沢賢治の「私という<現象>」という言葉を借りれば、
それなりに極めた人(という現象)同士がアウン呼吸で創り出す世界の中で、
人(・・・というまた別の現象)がひたすら<舞う>ことで垣間見せる、
いわば、<カミの下での命の戯れ>だった気がする。
自然「ネイチャー」の語源には、仏語の「ナチュール」があり、
その「ナチュール」には、自然はもちろんの事、
ヒトそのものや、ヒトの脳みそが創り出した世界でもある
文化・政治・経済・都市・建築など、万象全てが含まれるらしい。
そこには、互いに微妙に迷いつつも、その瞬間×瞬間、
命いっぱいの一期一会が、確かに在った気がした。
最後に・・・、
<Shidareo>のBlogへの掲載にあたり、肖像権のある画像使用を快諾いただきまして、
本当にありがとうございました。この場をお借りして、改めましてお礼申し上げます。