▼つながろう! 希望が小さな時代に2025/12/20 15:56 (C) ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
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「つながろう! 希望が小さな時代に」
「コカ・コーラの瓶の中の・・」
俺は最近、寺山修二のコカ・コーラとトカゲに関わる詩を思い出す。
トカゲの子どもを捕まえてコカ・コーラのビンの中で飼っていたら、やがて成長しビンから出られなくなってしまった。そんなトカゲに向かって、お前にはビンを割って出てくる力なぞはあるまい、そうだろうニッポン・・と寺山修司。コカ・コーラはアメリカ。
戦後80年にもなろうとしているのに・・国の外交政策も、国内政治の舵取りも、その予算編成も、当然ながら沖縄も、その他の基地問題も、原発も、農業政策でさえもコカ・コーラのビンの中だ。こんな国は世界に例がない。誇りを失った国、「植民地」ニッポン。
「イイじゃないか、その方が、軍事費が掛からないし、安上がりでトクだから」
バカタレ!損得の話でない!この国の自立とそこにすむ我々の尊厳にかかわることだ。
過日、鹿児島の知覧に行って来た。若くして、特攻隊の一員となって死んでいったたくさんの青年たちの手記に出会うためだ。18歳で、19歳で、20歳・・で。自分たちの死から教訓をくみ取ってくれるなら、俺達の死も決して無駄ではないはずだ。無駄にして欲しくない・・・。未来に希望を託し、そう信じて飛び立って行った多くの青年たち。そんな彼らの、たくさんの手記に出会えた。俺は昭和24年生まれの戦後世代だ。彼らが託した「未来」の中に生まれ、育ち、生きている。
そして、悔しいが、いまだにビンの中だ。
彼らに対して恥ずかしくない生き方に努めるのは当然だが、単なる個人の「生き方」に留まってはならない。俺は百姓だ。いま、農業に関わり、国の自立に関わる深刻な課題が横たわっている。さて、どうする。どこから始める?
日本のコメの生産は年間670万トン。一方で輸入される小麦は550万トン、大麦200万トン。あわせて食糧穀物は750万トンだ。そのほとんどがアメリカから。それが毎年増加している。その分、そう、ここが重要だが、その分の日本のコメを減らすのだ。今年も4割の減反。来年度も同じ量の減反が予定されている。鈴木農水大臣は「受給調整」だと言ったが・・何が!相変わらずの植民地農政ではないか!
他方、牛、豚、鶏など家畜に与えるトーモロコシ、大豆などの濃厚飼料と呼ばれるものの自給率は13%。毎年1300万トン輸入している。これもほとんどがアメリカからだ。コメの4割減反を即時やめて、すべての田んぼにコメを作付けすべきだ。そしてその余りを減反強化ではなく、家畜のエサ米に回せばいい。
1971年の減反政策を皮切りに、政府は一貫して日本農業の主軸であった自作農を切り捨て、規模拡大を進め、農業の再生産構造を破壊してきた。最近ではIT技術を駆使して、いわば「工業的農業」を進めている。しかし、大規模化と「工業的農業」が可能なのは、耕地の3割程度だ。7割の耕地は中山間地にあり、特にその内の5割は、それこそ効率の悪い山沿いに広がっている。それらを丁寧に耕してきたのは自作農たちだ。その自作農の離農が止まらない。まさに日本の農業が崩壊しようとしている。それと連動して国民の食料危機も深まっていく。
瑞穂の国、日本のコメ農家の平均年齢は71.1歳。
65歳以上の農業従事者は全体の72%。
農家の年齢層として一番厚い世代は団塊の世代で76〜78歳。
この層が日本農業を支えていると言っていい。あと長くて4・5年もすれば羊羹を切ったように後継者が消える。農民が消える。村が消える。縄文以来の歴史をもつ瑞穂の国がまさに崩壊しようとしている。おそらく、我々は今、未曽有の食料不足からくる社会の大混乱を前にしているのではないか。
「ちょいと話が変わるがな。」
今年の3月下旬の夜半。わが家の鶏舎にキツネが侵入して、ニワトリ100羽を残らず殺していくという事態が発生した。厳重に警戒している中での出来事だった。もし侵入に失敗したら、俺たちが彼等を捕まえていた。現に菅野農園では今までにも7匹ほどのキツネを捕まえ、こっぴどく懲らしめてやった。それでも奴らは来た。食べ物を求め、覚悟の上での侵入だったのだろう。食べ物が無いという事はそういう事だ。命がけのこと。人間だってキツネにもなる。
そんな事態が予想されるにも関わらず、マスコミも含め、表に出てくるのは、コメが高いの、安いの、まずいの、まずくないのと、そこだけだ。広く国民に問わなければならないのはそこではない。「日本の国づくりの中に、農をどう位置づけるのか」「その為には何をすべきか?」、「このまま農家をつぶし、農民を切り捨てていいのか?」「国の自給率は?」国民的にはからなければならないのはそこだろうが!
日本農業の崩壊と食の危機。そんな事態が進んでいるにもかかわらず、相変わらず食べ物を粗末にするおバカな番組が横行して、食の危機を改善する民意が育たない。政治も国民のいのちを守る、最低限の役割を果たしていない。もはや日本は「ゆでガエル」状態だね。ゆでガエルの話・・水槽の中のカエルを捕まえて熱い湯の中に放したらびっくりして逃げ出そうとするが、徐々に時間をかけて温めて行けば、ゆでガエルになるまで逃げだそうとせず、やがて・・というあの話。異変を感じた段階で飛び出ていけばいいものを、それをせずに、変化する環境に順応しようとする。その中で生きていけない自分が悪いのだ。そう思いつつ懸命に順応しようとし、最後は果ててしまう。
環境問題の中で良く聞いた話だが、このことは、環境問題にのみ限定される話ではなく農家にも、無権利状態におかれている非正規労働者(労働者の36・8%、女性労働者の54・4%)の中にも同じことがいえるのではないか?そこに共通していることは、自分を取り巻く深刻な事態が、政治や社会の仕組みの問題としてではなく、自分の個人的な努力の足りなさ、力不足にあると思っていること。そう思い込み、自分を責め続けていることなのではないか。
もしそうなら、それは違う。そう思わされているだけのことだ。それは政治や人為的に作られてきた社会の仕組みの結果なのであって、それらを変えれば、境遇を変えることが出来る。未来を変えることが出来る。社会や経済の為の一つの駒の様な状態から、人の為の社会や経済の仕組みに替えていく。事は単純にそういう問題なのだ。国や社会を作るモノサシを変えよう。
「つながろう! 希望が小さな時代に」
先日、新聞の小見出しの中に、こんなコピーを見つけた。
「つながろう! 希望が小さな時代に」
いま、我々の足元では「農と食の危機」が一体的、構造的に進んでいるが、多くの人々はこの事の持つ深刻さを理解できてない。知ろうともしていない。俺にはそう見える。
「当面の食が手に入ればそれでいい」「安ければどこの国が提供しようが構わない」
かいつまんで言えば、こんなところか。だから「令和の百姓一揆」だったのだが・・。
さて、ここからだ。
「農と食の危機」はそのまま生活の危機、社会の大混乱につながっていく。だからこそ、この危機に対して、単なる農政批判、時代批評で終わらせてはならないのだ。農と食の深まる危機に対して、求められているのは「そうではない道」を具体的、実体的に作り出すことだ。
農家が消費者・市民の食を支え、消費者・市民が農家の持続的生産活動を支える。
農民と市民が互いを支えあう関係を地域的に作り出すこと。
まず消費者、市民に呼びかけたい。近い範囲に、イザという時の為の「かかりつけ医者」というのがあるが、それを見習い「かかりつけ農家」を見つけよう。次に高齢化し、慢性的な労働力不足に悩む農家に一時的でも手を貸そう。「近くにはビルばっかりで村がない」と嘆く必要はない。関係を地理的に広げるばかりではなく、「つながり」としても広げるのだ。辿(たど)って行けばどこかで村や農民にたどり着けるはずだ。そこから始まる交流から温かい関係を築いて行けばいい。
農家が離農する前に、安心して作付けできる環境を作り、他国の農業への依存ではなく、自国の農を守り、育てる道こそ肝心であり、それが、消費者が安定して食べ物を確保できる唯一の道でもあるのだが、農政の方向はそうなってはいない。
2025年、国の軍事予算は8兆7000億円に対し農業関係予算は2兆2700億円でしかない。国の予算配分の中にどんな国造りを目指しているのかが如実に示されている。そこには明るい未来が感じられない。
「令和の百姓一揆」が行われた
そんな情勢を受けて3月30日。東京・青山の公園を主会場に「令和の百姓一揆」が行われた。4500人の農民・消費者市民と30台の農耕用トラクターによるデモが行われ、全国の人々に農業、農村の危機的現状を知らしめると同時に、国民に身近に迫る食料危機への早急なる対応の必要性を訴えた。
その日に連動して決起したのは沖縄、奈良などの13都道府県。それを起点に更に多くの県に飛び火した。東北の一番手は秋田だ。稲刈りが終わった11月10日に秋田市中央部で決行。次は山形。11月24日、農耕用トラクターを先頭に200人の農民、市民のデモ隊が続き、「農民に所得補償を!」「市民が生活できる食の補償を」「食料自給率の向上を」と 訴え、その後、300人が参加して農と食の現状を共有し、これから何をしなければならないかを話し合った。
このような農民と市民が連携した「一揆」は、3月30日から12月下旬まで全国各地、およそ25の県で行われた。
2026年3月下旬には、再び「令和の百姓一揆」の全国展開が準備されている。日本の農と食と農村を守ろうとする一揆はいよいよ正念場を迎える。
「負けるわけにはいかないのだ」
食糧自給率が38%。実際は、アメリカに依存している種の自給率を含めれば、わずか9%しかないという学者もいる。世界的な気候変動と政治不安が深まる中、国民の食といのちがますます危機にさらされる。求められているのは「農と食」を基軸にしたこの国の大胆な軌道修正。令和の百姓一揆はこれを求めてやってきた。この矛を収めるわけにはいかない。
来る年も、引き続きこの路線を進むしかない。
「すべての国民が安心して国産の食料を手にできるために」
「すべての農民に所得補償を」
「未来の子どもたちにも国産の食料を食べてもらえるように」
「日本の食と農を守ろう」
小農・家族農の隣にはたたくさんの兼業農家、日曜農業、多様な市民参加の農業が続いている。それは、人々と農との結びつき、土といのちとの一層広くて、深い結びつきにつながっている。そしてそれが瓶を割る力にもなっていく。
だからこそ負けるわけにはいかないのだ。潰れるわけにはいかないのだ。