▼ぼくの細道(はじめに)2016/03/17 06:20 (C) Atelier Li-no
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1975年(昭和50年)初めての都会生活は、東京都日野市旭ヶ丘3丁目(東芝日野工場の第二平山寮)から始まった、転勤で神奈川県横浜市鶴見区の駒岡寮へ、そして初めてアパートを借りて住んだのが会社近くの川崎市幸区下平間の安アパートでした、23歳で結婚し会社の門から100mという社宅(川崎市幸区下平間東芝中塚荘)に引越した、朝通勤の社員の足音で目が覚め、5分前の始業ベルで出ても間に合う距離で何かと便利だった、しかし風呂なし、汲み取りトイレの昭和昭和した安アパートで、当時銭湯は近くに3軒あった、程なく長男が生まれ1歳まで生活、銭湯では、子供を見てくれるおばさんもいた、まだ昭和の雰囲気が強く残る商店街いい雰囲気だった、しかし、仕事で遅くなると銭湯もしまるので、風呂付がほして団地(横浜市神奈川区白幡東町)に引越し、2人目の娘が生まれた、このとき26歳、やがて念願のマイホームを相模原市に購入し住むことになる、仕事で関係していたJAXAの宇宙研がチャリで5〜6分とうれしい距離、たまに打ち合わせなどでうれし、うれしの直行、直帰、都会では通勤に往復2,3時間は当たり前だから、ほんとにうれしかった、まだ、このころは田舎暮らししようなど考えてもいなかった頃である・・・それぞれに路地裏とか散歩で好きな場所があった、そんな自分の好きな細い道をだらだら、ぼそぼそとつぶやきます。(思い出の子安運河、置賜桜回廊、置賜紅花のみち他)