SZP2010 スポプロ報告 NAHAマラソン参加&交流の旅 その3:SZP2022
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SZP2010 スポプロ報告 NAHAマラソン参加&交流の旅 その3
平和祈念
仙台市 ハッセイ
49歳にして初沖縄。耳年増となって様々な情報が沖縄のイメージを創りあげていた。フレンドリーで大らかで情に厚い島人気質。美しいサンゴ礁の海と豊かなヤンバルの森。琉球王国から続く伝統文化とまだまだ癒えない戦争の負の遺産・・・。実際はどうだったか? ひと言で言えば、すべてが想像を大きく上回っていた。
たくさんの濃い思い出の中でも、NAHAマラソンの大会趣旨でもある「平和祈念」について少し書いてみたい。
戦争と沖縄、体の中にその棘が引っ掛かったままだ。
宮城から沖縄に嫁いで30年以上になるYさんが、嘉手納基地訪問にあたり絞りだすように語ってくれた様々な話。特に内地の人との温度差、という言葉を発した時の彼女のやるせない気持ちがとても伝わってきて、グッとなった。
そして国頭村奥地区で集落ツアーガイドをしてくれた宮城さんが教えてくれた生垣の秘密。約1時間半のツアーもそろそろ終わりか、というときに見たその生垣の幹には、間違いなく黒い焦げ跡があった。彼の解説によれば、完全降伏後も占領軍による敗残兵の掃討作戦というのがしばらくの間続いたそうで、奥地区でも家々が容赦なく火炎放射機で焼かれたらしい。焦げ跡は60年前の火炎放射によるものだったのだ!
何ができるわけでもないのだが、せめて心の棘を簡単には抜かないでおこうと決めた。
我が家は3人の子どもに恵まれているが、すでに長男は東京暮らし。二番目、三番目もいずれ家を出るだろう。お店の棚に並んでいた5色の色鮮やかな琉球ガラスのコップを見たとき、躊躇なくこれを土産に決めた。家族5人が和やかでいられることを祈念して。
生垣の秘密
奥ヤンバルの里にて
国頭村奥集落にて
繋がる想い
宮城県多賀城市 こーこ
2010年に、まさか自分がこんな大事に挑むとは!
第25回NAHAマラソンから帰郷した仲間達のお土産話に感涙し、次は応援で私も参戦しよう♪と楽しみにしていた、2009年末。の、はずなのに、
いったい何故?未だに謎・・・
未知の世界だったこと。
それは、自分の世界を広げてくれるものでした。
苦しいとばかり思って覚悟して挑んだのに。
楽しく、心地好く、自信が持てるようになり。
今まで見ることのなかった景色を、贅沢過ぎる位堪能できるように。
なにより、沢山の人との出逢いは、最高のご褒美となり♪
あれだけ楽しみにしていたNAHAマラソンでは、スタート直後に体調を崩してしまい、結果的にはハーフ地点でリタイアとなったのですが。
本大会の声援の盛大さは、以前より耳にしてはしていたものの、それは、想像を遥かに越えるものでした。途中、何度も進めない状況になったのですが、もうちょっとこの応援の中で走らせてもらいたいとの感謝の想いからか、前へ前へ身体が一歩一歩を噛み締めてくれました。
そして、そんな悔しさも忘れるくらい、現地の方々との交流は楽しくて☆
ついさっき、初めましてと言葉を交わした方々と、
一瞬のうちに、一緒に笑って歌って踊って。
歳や職種や環境も、関係なく繋がった笑顔の輪。
あっという間に、行く先々のファンになりました♪
平和への願いが込められて開催されたNAHAマラソン。
四半世紀たった今も、その想いは褪せること無く次の世代へと繋り。
また強い祈りの輪が繋がっていってるのですね
そして自分自身もまた、走ることの楽しさを伝え、
新たな仲間を走りの輪に繋いでいる様子。
始めは、ほんのちょっとの好奇心。
沖縄に行こう♪の想いがなければ、沢山の出逢いも笑顔も、声援の力強さも。
ヤンバルクイナや満点の星空も、きっとあの場でしか体感できなかったこと。
沢山の想いや人の輪が繋がり、そしてまた、繋げていく想い。
まだまだ、その繋がりは、途絶えること無く、広がっていく予感♪
感謝・感激・感動 ビバ!沖縄
仙台市 イッキュウ
昨年12月、NAHAマラソンに出場するため訪れた初めての沖縄、心地よい沖縄弁に囲まれ繋がった笑顔の中にいれたことは最高の幸せでした。
“NAHAマラソン”では42.195kmもの長い沿道に延々と続くエールと差し入れのお陰で完走できました。琉球の暖かい風に感謝です。
そして、前夜の交流会、マラソン終了後の台湾交流会、国頭村での大交流会と3つの“マラソン交流”で触れた沖縄の人達の優しさと心地よい三線の音色に感激しました。
圧倒されたのが“国頭村での満天の星空”でした。見上げた瞬間に自然と頬を涙が流れ、360度パノラマの夜空で聞いた星の囁きと風車の風には言葉にならない感動をもらいました。
お世話になった皆様。必ずまた行きます!ありがとうございました。
仙台から、NAHAマラソンに参加したメンバー →→→ スタート直後(旭橋より)
仙台から参加したメンバーです。まだまだ元気・・・スタート直後ですから
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仙台市 ハッセイ
49歳にして初沖縄。耳年増となって様々な情報が沖縄のイメージを創りあげていた。フレンドリーで大らかで情に厚い島人気質。美しいサンゴ礁の海と豊かなヤンバルの森。琉球王国から続く伝統文化とまだまだ癒えない戦争の負の遺産・・・。実際はどうだったか? ひと言で言えば、すべてが想像を大きく上回っていた。
たくさんの濃い思い出の中でも、NAHAマラソンの大会趣旨でもある「平和祈念」について少し書いてみたい。
戦争と沖縄、体の中にその棘が引っ掛かったままだ。
宮城から沖縄に嫁いで30年以上になるYさんが、嘉手納基地訪問にあたり絞りだすように語ってくれた様々な話。特に内地の人との温度差、という言葉を発した時の彼女のやるせない気持ちがとても伝わってきて、グッとなった。
そして国頭村奥地区で集落ツアーガイドをしてくれた宮城さんが教えてくれた生垣の秘密。約1時間半のツアーもそろそろ終わりか、というときに見たその生垣の幹には、間違いなく黒い焦げ跡があった。彼の解説によれば、完全降伏後も占領軍による敗残兵の掃討作戦というのがしばらくの間続いたそうで、奥地区でも家々が容赦なく火炎放射機で焼かれたらしい。焦げ跡は60年前の火炎放射によるものだったのだ!
何ができるわけでもないのだが、せめて心の棘を簡単には抜かないでおこうと決めた。
我が家は3人の子どもに恵まれているが、すでに長男は東京暮らし。二番目、三番目もいずれ家を出るだろう。お店の棚に並んでいた5色の色鮮やかな琉球ガラスのコップを見たとき、躊躇なくこれを土産に決めた。家族5人が和やかでいられることを祈念して。
生垣の秘密
奥ヤンバルの里にて
国頭村奥集落にて
繋がる想い
宮城県多賀城市 こーこ
2010年に、まさか自分がこんな大事に挑むとは!
第25回NAHAマラソンから帰郷した仲間達のお土産話に感涙し、次は応援で私も参戦しよう♪と楽しみにしていた、2009年末。の、はずなのに、
いったい何故?未だに謎・・・
未知の世界だったこと。
それは、自分の世界を広げてくれるものでした。
苦しいとばかり思って覚悟して挑んだのに。
楽しく、心地好く、自信が持てるようになり。
今まで見ることのなかった景色を、贅沢過ぎる位堪能できるように。
なにより、沢山の人との出逢いは、最高のご褒美となり♪
あれだけ楽しみにしていたNAHAマラソンでは、スタート直後に体調を崩してしまい、結果的にはハーフ地点でリタイアとなったのですが。
本大会の声援の盛大さは、以前より耳にしてはしていたものの、それは、想像を遥かに越えるものでした。途中、何度も進めない状況になったのですが、もうちょっとこの応援の中で走らせてもらいたいとの感謝の想いからか、前へ前へ身体が一歩一歩を噛み締めてくれました。
そして、そんな悔しさも忘れるくらい、現地の方々との交流は楽しくて☆
ついさっき、初めましてと言葉を交わした方々と、
一瞬のうちに、一緒に笑って歌って踊って。
歳や職種や環境も、関係なく繋がった笑顔の輪。
あっという間に、行く先々のファンになりました♪
平和への願いが込められて開催されたNAHAマラソン。
四半世紀たった今も、その想いは褪せること無く次の世代へと繋り。
また強い祈りの輪が繋がっていってるのですね
そして自分自身もまた、走ることの楽しさを伝え、
新たな仲間を走りの輪に繋いでいる様子。
始めは、ほんのちょっとの好奇心。
沖縄に行こう♪の想いがなければ、沢山の出逢いも笑顔も、声援の力強さも。
ヤンバルクイナや満点の星空も、きっとあの場でしか体感できなかったこと。
沢山の想いや人の輪が繋がり、そしてまた、繋げていく想い。
まだまだ、その繋がりは、途絶えること無く、広がっていく予感♪
感謝・感激・感動 ビバ!沖縄
仙台市 イッキュウ
昨年12月、NAHAマラソンに出場するため訪れた初めての沖縄、心地よい沖縄弁に囲まれ繋がった笑顔の中にいれたことは最高の幸せでした。
“NAHAマラソン”では42.195kmもの長い沿道に延々と続くエールと差し入れのお陰で完走できました。琉球の暖かい風に感謝です。
そして、前夜の交流会、マラソン終了後の台湾交流会、国頭村での大交流会と3つの“マラソン交流”で触れた沖縄の人達の優しさと心地よい三線の音色に感激しました。
圧倒されたのが“国頭村での満天の星空”でした。見上げた瞬間に自然と頬を涙が流れ、360度パノラマの夜空で聞いた星の囁きと風車の風には言葉にならない感動をもらいました。
お世話になった皆様。必ずまた行きます!ありがとうございました。
仙台から、NAHAマラソンに参加したメンバー →→→ スタート直後(旭橋より)
仙台から参加したメンバーです。まだまだ元気・・・スタート直後ですから