南三陸町の元気な家族 「 気持ちまでは流されなかったから 」:SZP2022
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南三陸・歌津日記
南三陸町の元気な家族 「 気持ちまでは流されなかったから 」
<鉄骨の階段だけを残し、加工所と家が流されてしまいました>
南三陸町と言えば、今回の大津波の被災地として全国に名前が行き渡ってしまいました。
志津川町と歌津町が合併してできた町ですが、どちらも牡蠣養殖のメッカ的存在でした。
弊社の「風のコラム」でもとりあげた「歌津の牡蠣」(1/18、1/23、2/11)。
しばらく食べられないのは我慢するとして、
懇意にしている生産者が大打撃を被っているのを黙って見過ごすわけにはいきません。
この歌津の高橋家と交流のあった仲間たち(主に仙台ゾウ・プロジェクトのメンバー)が立ち上がり、新潟からガソリン・軽油・灯油を調達してくる班、それぞれの持ちより品をとりまとめる班、そして現地に届ける班、という具合に総勢50名ほどが関わってくださいました。
家族4名が皆無事だったのが唯一の救いで、その他の財産(家、加工所、船、作業小屋、車4台)は跡形もなく流されてしまった高橋家。
あの大津波から2週間ほど経過した3月27日(日)、車2台に大量の支援物資を積めるだけ詰め込んで行ってみました。
涙の再会!
でも、彼らが泣いたのはその一瞬だけ。
その後はこれまでと変わらぬ笑顔、太平洋よりも広い心が言葉となってほとばしり、気がついたら4時間半!
雪まじりの海風に体を冷やされましたが、心だけはぽかぽかするひとときでした。
父七男さん
「オレはここで暮らしたい」
息子栄樹くん
「この仕事、ちょうどおもしろくなってきたところでやめたくない」
これで母和子さんの心のスイッチが入りました。
もうこの一家は完全に腹が据わっており、諸々不安要素を抱えながらも、
もう被災者モードではなく、難行苦行に立ち向かう戦士のようなモードになってました。
やはり人は、どんな状況にあるかということよりも、どんなミッションを持っているか、
これで決まるようです。
何年後になるかわかりませんが、彼らが三陸の海とともに育む極上の牡蠣をふたたび味わえることを願ってやみません。
2011.3.29 by Hasegawa
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南三陸町と言えば、今回の大津波の被災地として全国に名前が行き渡ってしまいました。
志津川町と歌津町が合併してできた町ですが、どちらも牡蠣養殖のメッカ的存在でした。
弊社の「風のコラム」でもとりあげた「歌津の牡蠣」(1/18、1/23、2/11)。
しばらく食べられないのは我慢するとして、
懇意にしている生産者が大打撃を被っているのを黙って見過ごすわけにはいきません。
この歌津の高橋家と交流のあった仲間たち(主に仙台ゾウ・プロジェクトのメンバー)が立ち上がり、新潟からガソリン・軽油・灯油を調達してくる班、それぞれの持ちより品をとりまとめる班、そして現地に届ける班、という具合に総勢50名ほどが関わってくださいました。
家族4名が皆無事だったのが唯一の救いで、その他の財産(家、加工所、船、作業小屋、車4台)は跡形もなく流されてしまった高橋家。
あの大津波から2週間ほど経過した3月27日(日)、車2台に大量の支援物資を積めるだけ詰め込んで行ってみました。
涙の再会!
でも、彼らが泣いたのはその一瞬だけ。
その後はこれまでと変わらぬ笑顔、太平洋よりも広い心が言葉となってほとばしり、気がついたら4時間半!
雪まじりの海風に体を冷やされましたが、心だけはぽかぽかするひとときでした。
父七男さん
「オレはここで暮らしたい」
息子栄樹くん
「この仕事、ちょうどおもしろくなってきたところでやめたくない」
これで母和子さんの心のスイッチが入りました。
もうこの一家は完全に腹が据わっており、諸々不安要素を抱えながらも、
もう被災者モードではなく、難行苦行に立ち向かう戦士のようなモードになってました。
やはり人は、どんな状況にあるかということよりも、どんなミッションを持っているか、
これで決まるようです。
何年後になるかわかりませんが、彼らが三陸の海とともに育む極上の牡蠣をふたたび味わえることを願ってやみません。
2011.3.29 by Hasegawa