コーヒーブレイクっ♪〜いいでとは?〜:いいでインフォ
いいでインフォ |
■メモ集
|
コーヒーブレイクっ♪〜いいでとは?〜
2013.06.25:Copyright (C) 一般社団法人飯豊町観光協会 IIDE Tourism Association
▼この記事へのコメントはこちら
|
ゲストさんようこそ
合計 16人
■記事数
公開 2,073件
限定公開 0件 合計 2,073件 ■アクセス数
今日 11,820件
昨日 5,592件 合計 3,983,304件 |
「飯豊(いいで)って(いいとよ)と読まずになぜ(いいで)なの?」
実は、飯豊町観光協会なのにはっきり回答できず、
お客様には「モヤっと」させてしまったし、返答する側も悔しい思いをしました(´;ω;`)ションボリ
そこで色々調べてみた所、面白い説が浮上してきたのでご紹介します♪
・いいでと呼ぶ由来・仮説多数
その1
その昔、飯豊青尊(いいとよあおのみこと)という皇女(巫女説もあり)がおりました。そのミコトさんを葬った所が今の飯豊山でありお墓である前方後円墳も実在します。
一説によれば飯豊青命は2人姉妹の総称で、妹が家出をしたことから「いえで・・・いいで」となったといわれます。
その2
会津側から見た飯豊山はまるで山盛りに盛られたご飯茶碗の様だという意味の、「山容飯を豊に盛るが如き」と昔の文献に記されているそうで、字の如く飯が豊かを文字ったともいわれます。
その3
飯豊山周辺にはたくさんの温泉があります。そこで「湯が出ずる(ゆいで)」・・・
「いいで。」に変化したとの説もあるようです。
その4
いひとよ(いいとよ)は古語でフクロウの名詞でフクロウが住む山という事で「いひとよ山」それが訛って「いいで山」となった説。
その5
古代の読みで「豊」を「で」と読んでいた説。
その6
奥州白河郡に式内飯豊神社がありイヒトヨという鳥の名前からきているという説もあります。
その7
大和と蝦夷の間に半植民地の出端(イデハ)があり、出羽の古語となった。
その出羽の国の間にそびえる山の塊が「イデハ山」。
それが訛って「いいで山」
総括すると、会津地方が名づけ元で諸説ありますが、本町飯豊町は昭和29年の豊原村、豊川村、添川村の合併により、「飯豊山」からその名前をいただき飯豊町(いいでまち)となったのだと考察されます。
改めて素朴な疑問を持てたことに感謝し、また一つ知恵が身につきました!
こうやって常に好奇心旺盛にアンテナを立てていきたいと思いますヽ(*´∀`)ノ