忙中閑―空気の日記…それがある日突然、なくなるということ!?:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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忙中閑―空気の日記…それがある日突然、なくなるということ!?


 

 “アベノマスク”を揶揄(やゆ)していた自分がいつの間にか、その姿に違和を感じなくなっているという不可思議…。そういえば、詩歌の世界でも年中、通用する“季語”になったみたいで。そして、スポ−ツ界に目を転じれば、あの“なおみマスク”が…。そんな時に出会ったのが「空気の日記」―

 

 「空を見上げれば、すいすい元気に飛び交うアキアカネの群れ。おお、秋だ秋茜(あきあかね)だ。足元を見れば、道には色づいた落ち葉がチラホラ並びはじめている。去年の秋と今年の秋の違うところは――落ち葉のなかに、白いマスクが何枚か混ざっているところかな」―。詩人23人が輪番でつづるWEBサイト「空気の日記」の9月23日付の文章にこんな一節が…。「玄関先の古紙回収のトイレットペ−パ−が盗まれた」(4月1日付)という一文でスタ−トしたこの日記は、こんな具合に書き進む(以下、9月25日付朝日新聞「天声人語」から引用)

 

●禁制の集会に行くかのように/息をするのも恥じ入りながら/ス−パ−にこっそり出かけてく(4月12日)

●手を洗っても洗っても拭えない汚れがあり/蛇口から流れつづける今日という一日(5月6日)

●陰/陽/白/黒/必要/不要/緊急/不急/一輪の花でさえ/そんなふうにはほんとうは分けられない」(6月6日)

●STAYとかHOMEとかGO TOとか/わたしたち犬みたいだよね」(7月19日)

●マスクをする 呼吸をする/暑くてくらくらメマイがする/なぜかセカイがくるくる回る(8月6日=この日は75年目の広島原爆の日)

●布でつくられたマスクを手洗いする朝が/いつもの流れにまざって/この日常を/たやすく認めたら/わたしが壊れる(9月9日)

●わざわざ書くまでもないような/ささいなことを/ううん/わざわざ書いておかないと/あとあと喉元過ぎて忘れてしまうだろうから(9月10日=沖縄那覇在住の詩人)

 

 

 「空気の無くなる日」(1949年)―。ふいに、70年以上も前の映画のシ−ンが目の前によみがえった。子どもたちが5分間、呼吸を止める訓練をしたかと思えば、自転車のチュ−ブや氷袋に空気をためようとするなどてんやわんや大騒ぎ。彗星が接近する「その年の7月28日」に5分間だけ、「地球上から空気がなくなってしまうそうだ」というデマに踊らされるドタバタ劇である。1円20銭だった氷袋が何百倍にも高騰するというあたりは、コロナ禍でのマスクの買い占めを彷彿(ほうふつ)させるではないか。この2年前、当時の児童雑誌に掲載された同名の小説(岩倉政治著)の映画化で、私も恐るおそる見に行った記憶がある。ところで、冒頭に引用した詩はこう続く。

 

 「マスク暮らしも、板について。人気のないところでのマスク外すタイミングも心得た人々の、外し方もそれぞれ個性が出ていて、観察するとけっこう面白い。顎の下にずらしてタバコ吸ってる、顎マスク。片肌脱いだ遠山の金さんのように片方外した、片耳マスク。ゴム紐が伸びきってないとああはできないだろう頭の上の、あみだマスク。口だけ隠せばじゅうぶんだと思っているらしく堂々と、鼻出しマスク。人の気配を感知するとさっとポケットから現れる、忍びマスク。マスク景色も、十人といろだ」

 

 「ところ変われば、セリフも変わる――世界お国別、口説き文句の違いです。これは唸った。アメリカ人にマスクをさせるには、『ヒ−ロ−に、なれるよ』(アメコミだ)。イギリス人には、『紳士は、してるよ』(おとなだ)。ドイツ人は、『マスクは、ル−ルだよ』(まじめだ)。イタリア人は、『モテるよ』(さすがだ)。さて、日本人は?と固唾を飲んで待った。さて、なんだとおもう?なんだとおもう?なんだとおもい、そうかとおもった。そうかとおもい、やっぱりとおもった。そして、ちょっと悲しくなった。答えは『みんな、してるよ』(赤信号だ)」…

 

 あぁ、早くマスクを外して、すっきりしたい。でもやっぱり、新型コロナウイルスがおっかない。齢80歳にして、ふたたび「5分間呼吸停止術」に挑戦するとするか。でもたったの5分間、息を止めることができたとしても…。物理学に「イナ−シャ(慣性)の法則」というのがあるそうである。平たく言えば、周囲に慣れ親しむというような意味なのだろうか。ぐるりと見まわすと、私たちのまわりにはすでに「ニュ−ノ−マル」(新常態)という名の城壁が張りめぐらされている。「付けるも地獄、外すも地獄」―あぁ、“マスク地獄”よ!?

 

 10月19日付の日記にこんな一節があった。目の前にはもう、冬が駆け足で近づいている。

 

春、夏、秋、と
くりかえされる
カンセン、という
ひとつの音に
わたしはもう
驚かなくなっているのだろうか

ほんとうは少しも慣れていないことを
見せないことに
慣れただけなのだろうか

ひさしぶりに降りた駅
一瞬 マスクをはずして
風のつめたさを吸いこむ……

 

 

 

 

 

(写真は「空気の無くなる日」のひとこま。何となく滑稽かつ悲しげな光景である=インタ−ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

 


2020.10.27:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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