『自由からの逃走』と現代社会、そして「平和の詩」:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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『自由からの逃走』と現代社会、そして「平和の詩」


 

 ベトナム反戦運動や水俣病救済など幅広い社会問題に取り組み、戦後の市民運動をリ−ドしてきた社会学者で、評論家の日高六郎さんが6月7日死去した。享年101歳。中国・青島に生まれ、当時の東京帝国大学を卒業。60年安保闘争など多くの市民運動の先頭に立ち「行動する知識人」と呼ばれた。1969年、東大紛争での機動隊導入に抗議して東大教授を辞職。その後も反戦や公害、人権、憲法問題などに取り組んだ。「60年安保」世代の私にとって、その名声はつとに聞き及んでいたが、むしろドイツの社会心理学者、エ−リッヒ・フロムの名著『自由からの逃走』の訳者としての記憶の方が強い。なぜ、自由から逃げ出さなければならないのか―。その逆説的な定理に私を含む当時の学生たちはとりこになった。

 

 フロム(1900―1980年)が反ナチズムの立場から同書を刊行したのは1941年…第2次世界大戦のさ中だった。日高訳の初版は10年後の1951(昭和26)年で、私の手元に残されているのは1965(昭和40)年刊の新版。茶褐色に変色した同書には何か所にも傍線が引かれている。当時、すでに27版を重ねており、「60年安保」敗北の挫折感が同書に目を向けさせたのかもしれない。例えば、フロムが強調する「ファシズム」論を読み解く個所には二重線が施されている。「資本主義はたんに人間を伝統的は束縛から解放したばかりでなく、積極的な自由を大いに増加させ、能動的批判的な、責任をもった自我を成長させるのに貢献した。しかしこれは、資本主義が発展する自由の過程に及ぼした一つの結果であり、それは同時に個人をますます孤独な孤立したものにし、かれに無意味と無力の感情を与えたのである」(同書より)―。

 

 この文章に見られるように、フロムの論拠のキ−ワ−ドは「自由」である。フロムはこうも書き記している。「われわれはドイツにおける数百万のひとびとが、彼らの父祖たちが自由のために戦ったのと同じような熱心さで、自由を棄ててしまったこと。自由を求めるかわりに、自由から逃れる道をさがしたこと。他の数百万は無関心な人々であり、自由を、そのために戦い、そのために死ぬほどの価値あるものとは信じていなかったことなどを認めざるを得ないようになった」。せっかく手にした「自由」の重荷に耐えきれなくなった末の国民大衆の姿をフロムは祖国のナチズムに見出していたのである。

 

 「新聞読まない人は、全部自民党」(6月25日付「朝日新聞」)―。こんな見出しの記事に目を引かれた。麻生太郎・副総理兼財務相が自民党支持候補が勝利した新潟知事選を引き合いに、自民支持が高いのは10〜30代として「一番新聞を読まない世代だ。新聞読まない人は、全部自民党なんだ」と持論を展開したという内容だった。しかし、例の“麻生節”としては片づけることができない不気味さを感じた。日高さんは新版に際して、こう書いている。半世紀以上も前の文章である。

 

 「現代社会というこの巨大なメカニズムのなかで、人間性の回復がどのようにして可能であるのか、ナチズムに表現されるような政治的あるいは暴力的画一主義にどのように抵抗すべきであるのか、さらに人類の破滅につながる戦争の危機を克服するにはどうすればよいのか。そうしたことがらはすべてわれわれ日本人にとっても切実な関心事であろう。そうした切実な関心にたいするひとつの答えとして、この『自由からの逃走』やその他のフロムの著書は、いまなお意味を失っていないと思う」―。

 

 ネット社会の中で、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス=インターネット交流サイト)でつながっている「10〜30代」(新聞の未読層)は一見、無際限な「自由」を享受しているように見える。しかし、その自由が逆に彼ら若者たちの重荷になっているとしたら…。「安倍一強」体制という全体主義(ファシズム)にそのエネルギ−が収斂(しゅうれん)されつつあるとしたならば、残念ながらフロムの予言が的中したのだと認めざるをえない。私たちはまさに今、その崖っぷちに立たされているのだと思う。自由とは本来、それに伴う孤独や責任を引き受ける覚悟と互換関係にある。その覚悟がないままに「自由の海」へと抜き手を切った先に待ち構える悪夢について、フロムは未来に向けて警告しているのである。

 

 

(写真はエ−リッヒ・フロムの自画像のスケッチ画=インターネット上に公開の写真から)

 

 

『追記』〜平和の詩「生きる」

 

 「沖縄慰霊の日」に朗読された平和の詩(22日付当ブログ参照)が各方面で大きな反響を呼んでいる。そのひとつ、後藤正文さんの文章を以下に転載する(27日付「朝日新聞」)。まさに「自由からの逃走」を拒絶する真っすぐな意志がそこにはある。

 

 

 浦添市の中学3年生、相良倫子さんが「沖縄全戦没者追悼式」のプログラムのなかで行った詩の朗読の映像を見た。73年前の沖縄戦の風景に言葉が及ぶ直前、相良さんの顔がゆっくりと濁った。詩の内容と連動するように表情が変わってゆく様は、言葉たちがしっかりと相良さんの魂と結びついているように感じられた。

 

 「生きる」という題名の詩を朗読する間、持参したメモにほとんど目を落とさなかったことも、とても印象深かった。会場全体を見渡しながら、堂々と読み上げる姿に感動した。こうした式典へ児童や生徒たちが参加することに疑問を持つひとがいるかもしれない。「どうして詩の朗読を少女にさせるのか」という問いも分からなくもない。大人たちこそ、平和への願いを自らの言葉で発するべきだろう。

 

 相良さんの言葉は、誰かの想(おも)いや願望の代弁ではなかったと僕は感じた。ステレオタイプな「少女」のイメージを隠れみのにして、大人たちが押し着せたメッセージではなかった。「未来は、この瞬間の延長線上にある」という言葉にはっとさせられた。だから、平和を祈って今を生きるのだと。「過去と現在、未来の共鳴。鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。命よ響け。生きゆく未来に。私は今を、生きていく」 体が熱くなった。(ミュージシャン)

 

『追記』〜平和の詩「生きる」

 

 先日の沖縄慰霊の日追悼式で、地元の中学3年生相良倫子さんの平和の詩「生きる」の朗読に、久々鳥肌が立つような驚愕(きょうがく)を覚えた。聴き終えてふと思い浮かべたのが、「早熟の天才」と称されたフランスの詩人A・ランボ−。戦争を写実的に捉える中で、作者としての思いを印象的な言葉で紡ぎ、反戦、平和という揺るぎないテ−マをこれ以上ない散文、詩という形で表現した。個人的見方ではあるが、その言葉の錬金術は、かの偉人に通じているかのように思えた。加えて凛(りん)とした清楚(せいそ)で高潔なたたずまい。わずか7分間の朗読で文学を横切って行った少女。日本にもついに現れたかとの印象だ(7月2日付「岩手日日新聞」記者わーぷろ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2018.06.26:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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