「地方政治家のあるべき理想像」―そして、真逆の市長暴言:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
「地方政治家のあるべき理想像」―そして、真逆の市長暴言


 

 花巻市議会6月定例会の一般質問が7日開かれ、私は師と仰ぐ元釜石市長の鈴木東民氏と元沢内村長の深沢晟雄氏(いずれも故人)の言葉を引用しながら、「地方政治家のあるべき理想像」について、上田東一市長の見解をただした。登壇しての質問が制限時間60分のうちの37分に及んだため、再質問の時間はほとんど残されていなかったが、上田市長から名誉棄損にも相当するような“とんでも発言”が飛び出した。

 

 上田市長は答弁の中で、激した表情でこう述べた。「(増子)議員は政務活動費24万円(年額)のうち、15万円以上も図書の購入に充てていると聞いている。市政に関連するのがどれ位かは分からないが、本ばかり読んでいないで、市民の声にも耳を傾けてほしい。勉強をするのは立派なことではあるが、自分に近いお友達とだけ付き合うのではなく、書斎を出て地元の行事にも顔を出してもらいたい」―。私はわが耳を疑い、抗議した。「思想・信条、尊厳にかかわる暴言だ。撤回してほしい」。上田市長はグダグダ弁解がましい言葉を繰り返しながら、傲慢に言い放った。「議員が不快に思うのなら、その部分は訂正する」ー。品性のひとかけらもない、あの人を食ったような財務大臣の発言と重なった。以下の質問の中にある鈴木、深沢両氏の発言とじっくり読み比べてほしい。

 

 

 

 議席番号2番、無所属・無会派の増子義久です。今回は議員2期目としては最後の一般質問の機会になりますので、まず過去4年間の議員活動を総括し、さらに上田市政の政策課題についても私なりに検証したいと思います。そのうえで、将来に向けた地方政治家(市長)としての理念あるいは自画像について伺いたいと考えます。4年間をトータルに振り返りたいと思いますので、質問の時間がこれまでより若干、長くなることをご理解ください。

 

 さて、私は平成26年の市議2期目の立候補に際し、「いざ、『イ−ハト−ブ』の建国へ」―をスロ−ガンに掲げました。当市が将来都市像として、「市民パワをひとつに歴史と文化で拓く/笑顔の花咲く温(あった)か都市(まち)/イハトブはなまき」―を標榜しているのを受け、一議員としてその実現に少しでも寄与したいと考えたからです。いうまでもなく「イ−ハトブ」とは当市が生んだ宮沢賢治による造語で、童話集『注文の多い料理店』の広告チラシがその出典とされています。厳密を期するため、その部分を読み上げます。「イ−ハトヴとは一つの地名である。強て、その地点を求むるならば、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスが辿った鏡の国と同じ世界の中、テパ−ンタール砂漠の遥かな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。実にこれは、著者の心象中に、この様な状景をもって実在したドリ−ムランドとしての日本岩手県である」

 

 文中に出てくる「大小クラウス」はアンデルセンの『小クラウスと大クラウス』、「少女アリス」はルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』、「テパーンタール砂漠」はインドの詩人タゴ−ルの詩篇「旅人の国」と「渡し守」、「イヴン王国」はトルストイの『イワンのばか』からの引用ではないかと言われています。この文章だけからも賢治の心象世界の無限性が伝わってきます。

 

 私はいわゆるマニフェストではこう訴えました。「東日本大震災、とくに福島第一原発事故をきっかけに、『自然との共生』を説いた賢治精神がふたたび脚光を浴びています。記憶の風化が叫ばれる今こそ、この精神をベ−スにした賢治の理想郷―『イ−ハト−ブ』の建国を急がなければなりません」―。その上で、次の4つの「建国」事業の実現を公約に掲げました。

 

 繊嵜椋劼噺治」に関する常設コ−ナ−の設置や平泉―花巻―遠野―沿岸被災地などを結ぶ「理念型観光」ルートの確立

◆鼠綽榁録誘┣颪筺峅爾糧」など賢治精神の発信基地でもある「花南地区」の時空間の充実

〜賢治の生家やゆかりの建物などを生かした「賢治の息遣いが聞こえる」中心市街地の活性化

ぁ繊岷ニモマケズ」精神(受難者や弱者へのまなざし)の具現化

 

 時あたかもこの年に初当選を果たした上田東一市長は3月定例会において「賢治のまちづくり」について、以下のように述べられました。「まず、宮沢賢治さんの生誕地であることを誇りとするということ。それから賢治さんの精神、いろいろな角度がありますけれども、それを学んでいくこと。それから、賢治さんが雨ニモマケズの中で言っております、我慢強さとか忍耐強さを忘れないこと。それから助けが必要な人に対して、ごく自然に手を差し伸べる。こういうことが賢治精神の中にあるだろうと思うのです。それを生かして市民の皆様と一緒になってまちづくりを進めていきたいと、そのように考えております」(会議録から)

 

 前置きがいささか長くなってしまいましたが、以下、何点か具体的にお聞きしたいと思います。今年3月31日付の岩手日報に「『元気なまち』復活へ」と題する上田市長へのインタビュ−記事が掲載されています。残念ながら、私が公約で訴えた「建国」事業に関しては具体化した施策はほとんど見当たりませんでした。ひとえに私自身の力不足であったと反省しています。

 

 上田市長はこのインタビュ−の中で、1期目の総括と2期目に向けた決意について、/邑減少対策、∋坡甲呂虜得検↓8鯲人口の拡大、に漂厠呂龍化―の4つを重点施策に挙げ、具体的なプロジェクトの推進・継続を約束しています。例えば、総合花巻病院の旧厚生病院跡地への移転整備事業、医療費助成や保育料の負担軽減、子育て世帯への移住支援、総合支所の強化、観光資源を生かしたインバウンド政策の推進、新花巻図書館の整備計画―など少子高齢化社会に向けたインフラ整備に積極的に取り組んでいることが強調されていました。

 

 こうしたプロジェクト、とくに総合花巻病院の移転整備事業と新図書館建設を推進するために導入されたのが、コンパクトシテイ・プラス・ネットワ−クと呼ばれる「立地適正化計画」だと考えます。平成30年5月現在で、都市機能誘導区域と居住誘導区域を含む計画を策定した自治体は全国で123市町村にも上っており、当市は全国で3番目の平成28年6月に策定しています。市税の減少を補う財源確保は喫緊の課題であり、有利な国の補助制度を活用するというのは行政の手法としては当然のことなのだろうと思います。

 

 ところで、上田市長が初めて立候補した際のマニフェストの冒頭には「花巻に新しい風を!」―というスロ−ガンが掲げられていました。「風」と言えば、まず賢治作品が思い当たります。『風の又三郎』や『注文の多い料理店』などその多くの作品では風が「どぅ〜」と吹けば、目の前の光景ががらりと変わってしまいます。つまり「風」は賢治にとっては変革のシグナルでもありました。さて、上田市長はどんな「風」を吹かせてくれるのであろうか。「これまでになかった、何か新しいことを実現してくれるのではないか」―市民の大きな関心もこの一点に注がれました。

 

 ところが、1期4年を経過したいま、その「新しい風」つまり政策における「上田色」がもうひとつ見えてこないというのが私を含めた大方の市民の実感ではないかと思います。期待感が過剰に大きかっただけにその乖離(かいり)も随分と目立つようになりました。例えば、先ほどの立地適正化計画など国の各種制度に過度に依存することによって、逆に自治体側の自由裁量の範囲が狭められたことがその原因のひとつではないかという指摘もあります。合併特例債やまちづくり基金、財政調整基金などを有効に活用して、上田色を思い切って前面に出した政策を進めることはできないのかという声もあちらこちらから耳に入るようになりました。ここで、お尋ねします。2期目の上田市政がスタ−トした現在、市長は花巻市にどのような「新しい風」を吹かせようとしているのか、上田色をどう打ち出そうとしているのか―その辺の思いを語っていただければと思います。

 

 さて、上田市長はことあるごとに、この立地適正化計画が全国で3番目に策定されたことをしきりに喧伝(けんでん)されておられます。その位置づけに特段の異論はありませんし、限られた期限内で計画の策定に当たった現場の職員には敬意を表します。ただ、策定の順位争いを聞かされれば聞かされるほど、何かそぞろ虚しい気分になってしまいます。なぜなのか。計画の中身を時間をかけてじっくり練り上げるいとまもなく、現場の職員が国から降りてくる膨大な業務にきりきり舞いさせられているのではないかと想像するからです。とくに次々に繰り出されるいわゆる「アベノミクス」以降、その業務量は益々増えているのではないかと思います。

 

 当市の職員として総務課長の経験もあり、現在、市の教育委員とコミュニティアドバイザ−でもある役重眞喜子さんの論考が雑誌『ガバナンス』1月号に掲載されています。例えば「地方創生」のように市町村に策定を求める計画が増加の傾向にあることを踏まえた上で、役重さんはこう述べておられます。

 

 「こうして職員の膨大な時間と労力が奪われるのだが、もっと深刻な問題はそのメンタリティの変化である。上ばかり見て住民を見ない。事務をこなすことに汲々とし、地域に出ていくモチベ−ションが低下する。このままでは『住民力』という自治体職員の最大の武器を自ら失いかねない」として、こう続けています。「さらに悪いのは、首長自身が国やメディア受けする“パッと見”の良い施策に傾倒するケースであり、管理職がこれを追認、若手職員は上の顔色とSNSの『いいね!』の数に一喜一憂。こうなるともはや庁舎内は『やらされ感』、『ソンタク』という見えないガスが充満し、窒息寸前に…。こうならないうちに、打つべき手はないだろうか」

 

 私自身、こうした職場環境の変化―風通しの悪さが肝心の計画の中身に微妙な影響を与えているのではないかと思うことがあります。愛媛県今治市への獣医学部の新設で取りざたされている「加計ありき」ではありませんが、例えば、総合花巻病院の移転に関しても、病院側からの働きかけというよりは、むしろ市側の事情で行政側が主導した「立地適正化計画ありき」ではなかったか?という疑念が病院内からももれ聞こえてきます。また、佐々木忍副市長がいみじくも「至難の技」と言った「医師確保」についても結局、明確な展望が示されないままに建設工事が着工されました。「至難の技」というのは「事実上、不可能」と言っているのと同義語だと思います。「仏作って、魂入れず」ということにならないかという懸念の声が開業医の間からも出ています。地域住民に寄り添い、そのニ−ズがきちんと計画に反映されているかどうか。「計画」のための「計画」になってはいないか―。そういう懸念や疑念だと思います。

 

 さらに「過労死」が社会問題化する中、「働き方改革関連法案」が強行採決されるなど職場の労働環境への関心が過去にないほどの高まりを見せています。当市においても職場によっては、仕事量が膨大に増えるという悪循環に陥り、職員の過重労働や心身の健康面を気遣う声が庁内外からも伝わってくるようになりました。役重さんは現場経験を踏まえた上で、いわゆる一般論として述べられたのだとは思いますが、それにしても随分と手厳しい指摘です。最近、国政の場−とくにいわゆる「森友・加計」問題をめぐって、行政が歪められているのではないかという疑念が大きな社会問題になっています。こうした危機が地方自治体にも及んでいるのではないか、「ガバナンス」(統治能力)が低下しているのではないか―という観点に立ち、止むに止まれない気持ちから思い切った提言に及んだのだと推察します。

 

 ちなみに、当市にゆかりのある新渡戸稲造は『武士道』(奈良本辰也訳)の中で「忠義」について、こう述べています。「おのれの良心を主君の気まぐれや酔狂、思いつきなどの犠牲(いけにえ)にする者に対しては、武士道の評価はきわめて厳しかった。そのような者は『佞臣(ねいしん)』すなわち無節操なへつらいをもって、主君の機嫌をとる者、あるいは『寵臣(ちょうしん)』すなわち奴隷のごとき追従の手段を弄して、主君の意を迎えようとする者として軽蔑された」―。「忖度(そんたく)」をこれほど的確に言い当てた言葉をほかには知りません。

 

 役重さんは論考を次のような印象的な話しで結んでいます。「私がこれまで最も尊敬した自治体職員、それは学校給食センタ−の栄養士と調理員さんだ。厳しい安全基準を懸命に守りつつ、彼女らは笑顔で言った。『今日は地元の野菜とつゆを使ったから、絶対完食よ』―そんな日、食缶はきっと空で戻ってきた。『残食が多いから、このクラスは来週風邪が流行るわよ』と言えば、必ずそうなった。彼女らには、食缶の向こうにいつも子どもたちの顔が見えていたのである」―。目の前にその現場の光景が浮かんで来るような気持にさせられます。

 

 「忖度」という言葉は昨年の流行語大賞に選ばれました。役重さんはこの提言の中で、忖度とは対極に位置する関係―つまり、地域とつながり、住民から顔が見える「住民プロフェッショナル」になることの大切さを訴えています。ずばり核心を突く指摘で、私たち地方議員も含めた地方政治家の姿勢が問われているのだと思います。この点について、同じ地方政治家としての立場から、何かご感想があればお聞かせください。

 

 さて、今年4月10日付岩手日報の「日曜論壇」に当市在住の男性が「横丁の灯 消え寂しさ」というタイトルの原稿を寄せていました。釜石名物の「橋上市場」が15年前に撤去され、今度は東日本大震災で被災し、仮設店舗で細々と営業を続けていた「呑ん兵衛横丁」の灯りが消えたことを惜しむ内容でした。

 

 甲子川にかかる橋上市場はイタリア・フィレンツェとここ釜石にしかない珍しい形式で、露天商の救済のために建設されたと言われています。また、呑ん兵衛横丁は先の大戦で夫など肉親を失った戦災未亡人の職場を確保するために作られ、作家の故井上やすしさんのお母さんも働いていたことでも有名になりました。寄稿文はこう結ばれていました。「橋上市場と呑ん兵衛横丁という、かけがえのない釜石の遺産。この二つを発案したかつての釜石市長、鈴木東民が生きていれば、この問題をどうとらえただろうか」―。また、東日本大震災で被災し、現在、東和町に移住している男性もある時、「東民さんが生きていたら、この大震災にどう向き合っただろうか。あの人の決断力があったならば…」とふと、洩らしたことがありました。

 

 現在、朝日新聞の全国版でルポライタ−の鎌田慧さんの伝記(聞き書き)が連載されていますが、その鎌田さんに『反骨 鈴木東民の生涯』という大著があります。この本によると、釜石に隣接する当時の唐丹村に生まれた鈴木東民は東京大学を卒業後、いったん朝日新聞に入社し、その後、いまの電通の特派員となってドイツへ渡りました。帰国後に読売新聞に入社、外報部長などを歴任。この間、徹底した反ナチス報道が原因で職場を失うことになります。戦後、読売新聞に復帰し、有名な「読売大争議」を指導しましたが、今度はGHQによって追放されるという波乱万丈の人生を送りました。

 

 郷里に戻った東民は昭和30年5月、60歳で釜石市長に当選。42年に落選するまで3期12年を務め、市長落選後に立候補した市議選ではトップ当選を果たして、周囲をあっと言わせました。市長当時、釜鉄(当時の富士製鉄釜石製鉄所)から排出される降下ばいじんは「世界一」と言われ、東民は盛岡など5市2町1村に呼びかけて「岩手県公害防止対策協議会」を結成、その後の全国的な「公害反対運動」の先駆けを作ったことでも知られています。鎌田さんは同書の中で、東民が市長落選後、親族に宛てた手紙を紹介しています。こんな内容です。

 

 「公害阻止のため釜鉄とたたかい、ぼくは市長選に敗れて釜石を追われたが、ぼくの代わりにサケがやってきた。公害を阻止したおかげである。民主主義を招来するために、戦争に反対し、起訴され、職を奪われ、強制疎開させられ、餓死一歩手前まで追いつめられたぼくの一生は、弱者の一生だった。現在の社会では正義を守ろうとする者は強者にはなれない」。鎌田さんは東民の一生について、「鈴木東民はたしかに彼の敵と闘いつづけた。が、彼はもっとも自分自身と闘いつづけけていたのだった」と同書のあとがきに書いています。

 

 もうひとり、「生命行政」を貫き通した、故沢内村長の深沢晟雄(ふかさわまさお)にも触れたいと思います。上田市長も以前、地元紙のインタビュ−に答え、深沢村長を尊敬する地方政治家の一人に挙げていたと記憶しています。鈴木東民が釜石市長として、獅子奮迅の働きをしていた昭和35年、深沢村長は国の反対を押し切って、65歳以上の医療費無料化を実現し、翌36年には60歳への引き下げと1歳未満の乳児の無料化に踏み切りました。この時の名言がいまに語り継がれています。

 

 「国民健康保険法には違反するかもしれないが、憲法違反にはなりませんよ。憲法が保障している健康で文化的な生活すらできない国民がたくさんいる。訴えるならそれも結構、最高裁まで争います。本来国民の生命を守るのは国の責任です。しかし国がやらないのなら私がやりましょう。国は後からついてきますよ」

 

 現在、老人医療費は有料になっていますが、深沢村長の予言通り、昭和44年に秋田県と東京都が無料化し、昭和48年には国が70歳以上を対象に無料化の実施に踏み切りました。沢内村は深沢村長の理念を受け継ぎ、その後も村単独で無料化を続けました。しかし、平成17年に湯田町と合併して西和賀町となった際、約45年にわたる老人医療費無料の歴史に幕を下ろすことになりました。

 

 鈴木東民と深沢晟雄に共通するのは、弱者に寄り添うという姿勢だと思います。私はこの二人を地方政治家の師と仰いで議員生活を送ってきたつもりですが、結局、足元にも及ばなかったという悔恨だけが残っています。ここで、お尋ねします。上田市長が理想とする地方政治家には深沢村長以外にどんな方がおられるでしょうか、この際、ぜひお聞かせ願います。

 

 ところで、今年は明治維新150年に当たりますが、私たち東北人にとっては「戊辰戦争」150年ということになります。新政府軍(西軍)側についた秋田・佐竹藩に対し、奥羽越列藩同盟は兵を向けました。いわゆる「秋田戦争」です。花巻城下からも多くの武士が参戦しました。その意味で、花巻城址は貴重な歴史遺産でもあります。

 

 城跡の高台にはかつて、東公園と呼ばれた市民の憩いの場があり、その一角に「はなまき」のまちづくりに貢献した194人の名前を刻んだ「鶴陰碑」が建っていました。その中の一人が上田市長のご先祖に当たる「上田弥四郎氏」です。儒者としても知られましたが、建築関係にも造詣が深く「造作文士」と呼ばれたと記されています。江戸・文化年間の城の大改修工事の陣頭指揮に当たったのが、この上田氏でした。一方、鶴陰碑を揮ごうした「小原東離」(忠太郎)は、秋田戦争にも加わった私の曽祖父です。縁(えにし)の不思議に驚いたことを覚えています。

 

 さて、この花巻城址(旧新興製作所跡地)の取得をめぐっては上田市政と私を含む議会側の一部とが対立する形になりました。上田市長は「利用目的が決まっていない物件に市民の税金を投入するわけにはいかない」と主張。私たちは「由緒ある土地を取得し、将来のまちづくりに有効利用すべきではないか」と反論しましたが、結局、市側は取得を断念することになり、現在に至っています。国道沿いにある花巻城址にはいま、コンクリ−ト殻などの残骸が放置されたままになっています。本来ならパチンコ店やホームセンタ―が建設される予定でしたが、土地取得者らのトラブルによって、無惨な姿をさらし続けているのが実態です。ふと、150年前の光景がまなうらに浮かびました。戊辰戦争に敗残した当時の無念が二重写しになったのでした。

 

 上田市長は第三者の手に移った以上、今後、この問題が市政課題にはなり得ないという見解の取っているようですが、戊辰戦争150年の今年、あの遠い記憶を呼び戻してくれる光景が目の前に現存しているという、歴史の巡り合わせにある種の感動すら覚えます。午前中の近村議員の質問にも城跡の一部を取得し、「花巻城・城跡公園」の整備を要望する内容が含まれていました。戊辰戦争など幾多の苦難をくぐり抜けてきた、かけがえのない「歴史遺産」の価値をそこに見出しているからだと思います。上田市長は花巻城址のあの無残な姿を見て、どのような思いにかられるのか―何かありましたならば、お答えください。

 

 最後になります。アメリカでの生活が長い上田市長はご存じかもしれませんが、ニュ−ヨ−ク州北部のオンタリオ湖南岸とカナダにまたがる保留地に6つのインディアン部族で構成される部族国家集団があります。シックス・ネイションズとも呼ばれる「イロコイ連邦」です。この部族集団はすべての武器を土に埋め、戦争と武器の放棄を宣言しました。“憲法”ともいえる「イロコイ連邦憲章」の中にこんな一節があります。「どんなことでも7世代先(セブンス・ジェネレ−ション)のことを考えて決めなくてはならない」―。一方の賢治は「イ−ハト−ブ」を「ドリ−ムランド」(夢の国)と呼んでいます。

 

 以上、議員2期目の総括と上田市政の検証をるる述べさせていただきました。こうしたことを踏まえた上で、上田市長が花巻の未来に向け、どんな展望や夢を抱いているのか、理想とする政治家像をどう描いているのか―忌憚のないお話をいただければ幸いです。長広舌(ちょうこうぜつ)を重ねたことをご容赦ください。登壇質問にしては異例の長さになりましたが、最後までご清聴ありがとうございました。これで登壇しての質問を終わります。

 

 

(写真は2期目のマニフェストや選挙用はがき。「イ−ハト−ブ」の建国を謳った)

 

 

 


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