“国体”は海を渡ってやってきた:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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“国体”は海を渡ってやってきた


 

 「菊(天皇)が戦前の国体だったとすれば、戦後の国体は星条旗(アメリカ)だった」―。明治維新から現代に至るまでの歴史を「国体」をキ−ワ−ドにして分析した『国体論―菊と星条旗』が注目を集めている。著者の政治学者、白井聡さんは4年前、『永続敗戦論』で敗戦の事実を否定する戦後史を白日の下にさらしたが、今回はそれを国体という概念でさらに詳細に検証している。そのスリリングな展開は本書に譲るとして、私が目を奪われたのは戦前と戦後の国体がともに沖縄を最初から埒外(らちがい)に置いていたという指摘である。先の大戦で「捨て石」にされ、いまなお米軍基地の重圧に苦しむ現実がそのことを如実に示している。

 

 「沖縄は『戦後の国体』が国民統合の機能を果たす際に、あらかじめ除外されると同時に、それが機能するために絶対に不可欠な役割を負わされた。ゆえに、『戦後の国体』、すなわち世界に類を見ない特殊な対米従属体制が国民の統合をむしろ破壊する段階に至ったいま、その矛盾が凝縮された場所=沖縄において、日本全体が逢着している国民統合の危機が最も先鋭なかたちで現れているのである」―。白井さんは沖縄の置かれた位置をずばり、こう表現している。平和憲法(戦争の放棄と象徴天皇制)―日米安保(と日米地位協定)―沖縄の犠牲(巨大な米軍基地化)……この「三位一体」が戦後の国体を根っこで支えているという論法である。

 

 作家の池澤夏樹さんは同書の書評を「沖縄は何か罰を受けているのではないだろうか」と書き出し、こう続けている。「広大な基地を押しつけられ、軍用機の騒音と米軍人の犯罪に苛(さいな)まれ、土人呼ばわりされ、あからさまに侮蔑される。異議を申し立てればまた叩(たた)かれる。これが罰でなくて何だろう。問題はいかなる罪に対する罰かということだ」(5月2日付「朝日新聞」)―。これに対する回答が「異様なる隷属」と白井さんが呼ぶ、身売りとも思える「星条旗」信仰であろう。つまり、罰せられるべきは本土の側であるという逆説である。でもなぜ、こんなことになったのか。

 

 私の場合、”アメリカ”は鼻先からやってきた。嗅(か)いだこともない、人をおびき寄せるような不思議な匂いだった。それがチョコレ−トやチュ−インガムだということがやがて、分かった。「ヘイ!カモン、ボ−イ」―。「鬼畜米英」に父親を奪われたはずの私はいつしか、進駐軍のジ−プを追い回すようになっていた。そんな光景が焼け跡のあちこちに出現した。戦後アメリカの占領政策が戦前の天皇の実質的な“退位”(象徴天皇制)と憲法9条(戦争の放棄)との引き換えによって、幕を開けたことは歴史が証明する通りである。しかしその後、肥大化の一途をたどる対米従属体制を国民全体で支え続けた正体こそが「アメリカの匂い」(豊かさ)ではなかったのか。当然のことながら、「沖縄抜きで」という留保付きで―。

 

 東京ディズニ−ランドが開園したのは35年前の1983年である。誘致先として当時、静岡県の富士山ろくに広大な土地を持つ三菱地所と、千葉県浦安市の埋め立て地を押さえる三井不動産がしのぎを削っていた。ディズニ−側の選択は周知のように「浦安」だった。『東京ディズニ−ランドの神話学』(桂英史著)にこんな記述がある。「ディズニ−ランドを訪れる人々が富士山を目の当たりにすることは、ディズニ−側にとっては明らかにデメリットである。ディズニ−ランドは、ゲストの目に見えるものすべてがディズニ−というブランドを背負ったキャラクタ−でなければならなかった」―。まるごとのアメリカナイズ(「日本=霊峰富士」隠し)である。

 

 白井さんは戦後の国体を「アメリカの日本」(占領期)→「アメリカなき日本」(安定期=ジャパン・アズ・ナンバ−ワン)→「日本のアメリカ」(現在の盲従的な対米姿勢)の三段階に分類している。集団的自衛権の行使容認、安保法制の制定、自衛隊の存在を明記した憲法改正案…。米国側の直接的な圧力がないにもかかわらずに、まるで“人身御供”(ひとみごくう)さながらの対米従属が第三段階の特色であろうか。

 

 「『お言葉』は何を語ったか」というタイトルで、『国体論』は書き始められている。2016年8月8日の「天皇」メッセ−ジについて、白井さんはこう記す。「語られることによって滲み出されたのは、今上天皇の持つ強い危機感であり、それは、煎じ詰めれば戦後民主主義の破壊・空洞化に対する危機感であった。『お言葉』によって明らかにされたのは、日本社会が解決済みとみなしてほとんど忘れ去っていた問いをめぐって、天皇その人が孤独な思索を続けてきたという事実ではなかったろうか」―。この危機感が「戦後の国体」の捨て石となった沖縄の地に向けられたことは言をまたない。現天皇(皇太子時代を含む)の沖縄訪問が実に11回に及んでいることが、そのことを雄弁に物語っている。

 

 池澤さんも前掲新聞記事をこう締めくくっている。「今上天皇の『お言葉』は退位の意思を通じて、機能する象徴天皇の姿を改めて国民の前に明示するものだった。動かなければならない。動いて、国民の傍らに膝(ひざ)をついて、祈る。弱き者の側につく。今上はそれを日本国憲法のもとにおける天皇の姿として、30年に亘(わた)って具現してきた。国体の頂点という危険な場所から距離を置くこと。貪欲(どんよく)な愚者どもの神輿(みこし)とならないこと。持てる者は放置して、何も持たない人々の側に身を置こう。天皇が働く場所は弱者の傍らしかない」

 

 「天皇制は嫌いだけれども、いまの天皇(今上天皇)は大好きだ」―。沖縄の地で「反戦」を叫ぶ彫刻家の金城実さん(79)の絞り出すような声がまだ、頭の片隅に刻み込まれている。戦後一度は”退位”させられたはずの天皇がいままさに、現代日本の危機(沖縄)を憂(うれ)いている。これ以上の歴史の皮肉があろうか。歴史は繰り返す…。「8・15」(1945年)はもうひとつの明治維新の始まりだったのかもしれない。

 

 

(写真は占領米兵のジ−プに群がる子どもたち。私もかつてはその一人だった=インタ−ネット上に公開の写真から)

 


2018.05.23:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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