黄昏(たそがれ)の宮沢賢治”学会“:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
黄昏(たそがれ)の宮沢賢治”学会“


 

 私は昨年、当ブログに「賢治、慟哭!?…学会の正体見たり(上)」と題する文章を掲載した(2017日11月18日付=資料1)。これに対し、5ケ月以上たった今年4月30日付で、宮沢賢治学会イ−ハト−ブセンタ−の富山英俊・代表理事長名で「『宮沢賢治・花巻市民の会』会報(2017年9月1日付)における本学会員に関する誤報問題等のその後の推移につきまして」(資料2)という長たらしい文書が3千人ともいわれる学会員宛てに郵送されていたことが分かった。どうしたわけか、同じ学会員である私には未だに届いていない。(なお、当時の関連記事は同月21日付と28日付の当ブログを参照のこと:アクセスはHP「イーハトーブ通信」へ)

 

 以下に資料1と資料2の私に関する部分を転載する(この文書には私以外に「花巻市民の会」の関係者3人の固有名詞が記され、A4版6ペ−ジに及んでいる)。目を皿にして、よ〜くお読みいただきたい。私が言いたかった趣旨には一切言及しないで、手続きのあり方を声高に言い募(つの)る文面に腰を抜かしてしまった。そういえば、どこぞの世界でも詭弁(きべん)を弄(ろう)しながら、自己保身(つまり、忖度)に身をやつす人間が多い昨今ではある。学会が問われているのも、まさに虫唾(むしず)が走るようなこの種の精神の貧困なのである。「安倍一強」と同様、“膿(うみ)”を出すべきなのは、学会組織の側ではないのか。

 

 

 

【資料1】こともあろうに、国内外の賢治研究者らが名を連ねる「宮沢賢治学会イ−ハト−ブセンタ−」(富山英俊代表理事)が、賢治精神の実践を目指す地元愛好家の呼びかけに「待った」をかけるという前代未聞の騒動が賢治のふるさと岩手・花巻で巻き起こっている。「夜郎自大」(やろうじだい)ともいえる学会の権威主義が鎧(よろい)の下から、チラリとその正体を垣間見せたというわけである。「賢治」に背を向ける「宮沢賢治学会」とは一体、どんな組織なのか。銀河宇宙のかなたで嘆き悲しむ賢治の姿が目に浮かぶ。おそらく、賢治自身が一番嫌うであろう、この騒動の顛末(てんまつ)とは

 

 「大槌の子どもたちを支援してください。東日本大震災にも負けず、健気(けなげ)に頑張っている東の子どもたちのために募金して下さいませんか」。そのチラシにはこう書かれていた。「東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ」というくだりが宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の中にある。「3・11」によって、壊滅的な被害を受けた三陸海岸の港町・大槌町はちょうど、賢治の生地・花巻の東方に位置している。あれから6年あまり震災の記憶が風化する中、私自身もその会員である「宮沢賢治・花巻市民の会」(阿部弥之会長、会員約30人)は今年の夏、総意で支援計画を決定。9月22日から2日間にわたって開かれる学会の定期大会での協力を申し出た。「まさに時宜を得た企画」こんな返事を期待していたのだったのだが

 

 「宮沢賢治学会イ−ハト−ブセンタ−定期大会の際の募金活動について」(平成29年8月10日付)と題する代表理事名の回答書は改めて事業計画書の提出を求めたうえで、物品販売などを除いた募金に限定する、定期大会参加者への周知は休憩時間を充てる、募金活動は9月22日のみとするなどの前提条件を付していた。「学会執行部の後ろ向きな姿勢を問う」という見出しで、市民の会の会報「おっほ便り」(9月1日発行)は「まるで門前払い。執行部は復興支援に無関心なのか」と疑義を呈した。当然のことである。しかし、事態はまるで予想もしない方向に展開した。会報の記事は事実無根だとし、今度は「訂正と謝罪」を要求。挙句の果ては謝罪文を期限までに提出しなかったという理由で、募金活動まで締め出してしまったのである。

 

 「アラユルコトヲ/ジブンヲカンジョウニ入レズニ/ヨクミキキシワカリ/ソシテワスレズ//東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ/行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ/南ニ死ニサウナ人アレバ/行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ/北ニケンクヮヤソショウガアレバ/ツマラナイカラヤメロトイヒ」。「雨ニモマケズ」の中で、賢治は受難者に寄り添うことの大切さを「行ッテ」と直截(ちょくせつ)に表現している。この「行ッテ」精神こそが賢治の思いを象徴する言葉である。事実、東日本大震災に際してはこの言葉に背中を押されたボランティアが被災地を目指し、英訳されたこの詩が全世界の追悼の場で朗読された。

 

 今回の支援活動の先頭に立った、在野の賢治研究者である鈴木守さん(市民の会、後に脱会)は呼びかけ文にこう記した。「東日本大震災が起こった頃、あちこちで『雨ニモマケズ』が引き合いに出されました。『賢治精神』を訴え、その支援に大いに資することになったと思います。しかしそれから6年が経ち、被災地のこともその支援についても次第に私達の意識の中からは遠ざかってしまっているという事実も否定できないと思います。そこで、本年度の賢治学会総会の際に『賢治精神』をちょっとだけですが実践し、三陸の被災地を支援したいと思うのですが如何でしょうか」(6月14日付「『賢治精神』プチ実践について」提案)。私自身も震災直後、仲間と支援組織「ゆいっこ」を立ち上げ、趣意書(要旨)にこう書いた。

 

 「肉親の名前を叫びながら、瓦礫(がれき)の山をさ迷う人の群れ。着のみ着のままのその体に無情の雪が降り積もる。辛うじて一命を取りとめた被災者の身に今度は餓死と凍死の危機が迫りつつあります。もう、一刻の猶予(ゆうよ)も許されません。岩手・花巻が生んだ宮沢賢治は人間のおごりを戒め、『いのち』のありようを見続けました。この『結いの精神』(ゆいっこ)は、ひとことで言えば『他人の痛み』を自分自身のものとして受け入れるということだと思います。何をやるべきか、何をやらなければならないか。走りながら考え、みんなで知恵を出し合おうではありませんか。試されているのは、わたしたち自身の側なのです」

 

 ささやかで真っすぐな願いは「宮沢賢治学会」の名のもとに踏みにじられた。かつて『宮沢賢治殺人事件』(吉田司著)という物騒なタイトルの本が出回った。今回の騒動の一方の当事者が実はその下手人だったとしたら。賢治の慟哭(どうこく)が天空からもれ聞こえてくる。「市民の会」は今月15日に開いた緊急臨時総会で、改めて学会側の真意をただすことにした。なお、鈴木さんは一連の経緯について、自身のブログ「みちのくの山野草」の中で、詳しく報告している。

 http://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku/e/aef0b3f55406a749d5883aed18946d0f

 

 

【資料2】同上ブログの「『宮沢賢治学会イ−ハト−ブセンタ−定期大会の際の募金活動について』から…挙句の果ては謝罪文を期限までに提出しなかったという理由で、募金活動まで締め出してしまったのである」の部分を引用して、こう述べる。「増子氏による記述では、鈴木氏と同様に、当該会報での『理事会では協議されなかったと聞きました』等の文言を本学会が問題としてきた事実や、(花巻市民の会)会長が謝罪文案提示を約束したのに期限を守らなかった経緯は、まったく触れられていません」ー。たったのこれだけである。

 

 

 

(写真は賢治が「イーハトーブ」(夢の国=理想郷)と名づけたイメージ図=インタ−ネット上に公開の写真から)

 

 

 


2018.05.12:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
この記事へのコメントはこちら
題名


本文


作成者


URL


画像

編集用パスワード (半角英数字4文字)


 ※管理者の承認後に反映されます。
ゲストさんようこそ
ID
PW

 合計 40人
記事数
 公開 2,900件
 限定公開 0件
 合計 2,900件
アクセス数
 今日 9件
 昨日 2,701件
 合計 8,262,814件
powered by samidare
system:samidare community