反戦彫刻家・金城実、吠える:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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反戦彫刻家・金城実、吠える


 

 「天皇制と天皇とは違う。沖縄への慰霊の旅を続けてきた今の天皇には誠意が感じられる」―。天皇皇后両陛下が11回目の沖縄訪問を終えた直後の3月30日、読谷村在住の彫刻家、金城実さん(79)が東京・神田の沖縄料理店でファンに囲まれながら、熱弁を振るっていた。石垣島出身で沖縄独立論者として知られる龍谷大学の松島泰勝教授との共著『琉球独立は可能か』の出版を祝う会でのひとこま。両陛下が初めて沖縄を訪れた1975年7月、慰霊施設「ひめゆりの塔」(糸満市)で過激派から火炎瓶を投げつけられるという事件が起きた。幸い大事には至らなかったが、実行犯の中に知り合いの青年がいた。当時はその行為に共感を抱いていた。

 

 2年前、「天皇制は大嫌いだが、天皇は大好きだ」(2016年8月21日付「朝日新聞」)という金城さんへのインタビュ−記事が大きな反響を呼んだ。「反戦彫刻家を自称していながら」、「天皇制に口を出す資格があるのか」…。左右両派から批判が相次いだ。「今上天皇は過去の戦争への反省を口にし、とくに沖縄戦の悲劇には心を寄せ続けた。天皇制論議はずっとタブ−だった。誰かが口火を切らなければならないと思った。それがオレだったというわけさ」とその時の気持ちを打ち明けた。実は金城さんは消えることのない心の傷を負い続けてきた。

 

 沖縄戦の際、米兵たちは女性に暴行するという噂が広がった。住民たちはあちこちのガマ(洞窟)に身を隠した。金城さんたちが避難したガマに精神に障がいのある女性がいた。パニックで大声を出したら、見つかってしまう…。その女性はガマの外に追い出された。金城さんはその時の光景を同書にこう書いている。「海岸にかすりの着物を着て、美しい背の高い女性が一人たたずんでいたんです。島民が助かるために彼女を人身御供(ひとみごくう)にしたわけですよ」―。ところが、米兵たちは女性を避けるように通り過ぎてしまった。当時、6歳だった「ガキ」の所業を金城さんはこう述懐するのである。「どこかがっかりした思いもあった。何かを期待していたからだろう。恐ろしいことを思っていたガキですよ」

 

 在日朝鮮人や被差別部落の人々、アイヌ民族…。金城さんが虐げられた者たちへの連帯を広めていった背後には幼い時の「心の傷」が影を落としているのかもしれない。出版を祝う会に一人の外国人女性の姿があった。オ−ストラリア国籍のキャサリン・ジェ−ン・フィッシャ−さん。16年前、横須賀市で米兵から暴行を受けた。加害者を米国まで追い、裁判を起こした。「正義の象徴」として、1ドルの賠償金を勝ち取った。金額の多寡(たか)ではない。3人の子どもには沖縄の血が流れている。金城さんを「沖縄のお父さん」と呼ぶジェーンさんはこう訴えた。「私と同じ悲劇に遭遇した女性が沖縄にはたくさんいる。基地がある限り、この悲劇はなくならない」

 

 私にもマイクが回ってきた。「独立戦争に失敗した末裔のひとりです」と切り出すと、みんなキョトンとした。1200年以上前の”蝦夷(えぞ)征伐”に抵抗して敗れた「アテルイの戦い」―。30年戦争とも呼ばれた、この歴史を知る人は少ない様子だった。「琉球独立」という言葉に触発され、とっさに口をついて出たのだった。金城さんと松島さんは同書の中で、「琉球(沖縄)の独立は同時に日本の独立の可能性も問いかけている」と記している。虚を突かれた。次の瞬間、死語だと思いこんでいた「独立」の2字が輪郭をともなってせりあがってきた。戦後ずっと対米従属に甘んじ、その犠牲をすべて沖縄に押し付けてきた「日本」(本土)こそが独立をた果たさなければならない。ハッとした。そのことに思いが至らない自分を恥じた。

 

 口の中にすっぽり収まりそうな可愛らしいハ−モニカから「故郷」の調べが流れた。東日本大震災の時、被災地のあちこちから聞こえてきたあの旋律である。お家芸の「下駄踊り」が会場が狭いという理由で取りやめになった。金城さんのもうひとつの隠し芸がこれだった。「ウサギ追いし…の部分はウサギ美味(おい)し、と歌ったもんだ。ひもじかったからな」―。「ふるさと」を奪われた沖縄にこそ、この童謡はそぐわしいと思いながら、聞き入った。73年前のこの日(4月1日)、米軍が沖縄本島に上陸。約3か月間に及んだ沖縄戦では県民の4人に一人と言われた約20万人が犠牲になった。

 

 この原稿を書いているその矢先、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の「辺野古」移設(名護市I)に反対の座り込みを続けている金城武政さん(61)から電話が入った。米兵相手のバ−を経営していた母親はベトナム戦争当時、近くの米軍「キャンプ・シュワブ」配属の米兵にドル紙幣を強奪された上、殺害された。米国がアポロ11号による人類初の月面着陸に成功したのにちなんで、店名は「アポロ」と命名されていた。私はちょうど1年前に金城さんと現地で会い、その悲劇を聞かせてもらった経緯がある。今回の電話は「(4月)23日から6日間、、大掛かりな反対運動(ゲート前500人集会)を始める」という伝言だった。二人の「金城」さんからの相次ぐメッセージにこっちの方が驚いてしまった。偶然の一致にしても、である。

 

 払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々が長い年月をかけて、これを記憶し、一人一人深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」―。火炎瓶事件があった初訪問の際、陛下は県民に向かって、こう語りかけた。その沖縄ではいま、米軍基地の増強や南西諸島への自衛隊配備が強引に進められている。

 

 

(会場を埋め尽くした参加者、左端の女性がジェーンさん。金城さんはトレードマークの白髭を震わせながら、「故郷」を奏でた=3月30日夜、東京都文京区神田須田町で)

 


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