ある保守論客の自裁死:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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ある保守論客の自裁死


 “転向後”のその人の著作は何冊か斜め読みした程度で、もちろん面識はない。ただ、歯切れの良いアジ演説の響きだけは脳裏の底に残っている。「その人」とは1月21日、東京の多摩川に入水(じゅすい)し、自らの命を絶った保守派の評論家、西部邁(にしべすすむ)さんのことである。享年78歳。いまを去ること58年前、彼は「ブント」(共産主義者同盟)を率いる東大教養学部自治会委員長として、「安保反対」の最前列にいた。1歳下のノンポリ私大生だった私も、連日のように国会周辺のデモの隊列に身を投じていた。時の政権は岸信介内閣。日米安保条約の改定に反対する世論が日本列島を席巻(せっけん)していた。「60年安保」闘争―である。

 

 1960(昭和35)年6月19日、「改定安保条約」(新安保)は与党のみの強行採決を経て、自然成立した。翌20日に岸内閣は総辞職したが、この間、全学連の国会突入で東大生が死亡するなど反対のうねりは国民的な運動として盛り上がっていた。一方で、ブントが主導する全学連に対しては「過激派」のレッテルが張られるなど組織内部の対立も表面化。運動は潮が引くように下火になって行った。「安保の敗北」はあの現場に身を置いた若い感性にさまざま“後遺症”を残すことになった。私は勝手に「安保DNA」と名づけている。もちろん例外もあるが、当時の仲間たちと会うと「そういえば、安保世代で出世した奴は少ないよな」という話に落ち着いた。偽善や欺瞞、虚栄、独善、怯懦(きょうだ))…。DNAの正体はこうした振る舞いに対する無意識の嫌悪感だったのかもしれない。

 

 1980年代―。表舞台から身を引いたと思っていた西部さんが「大衆社会」批判を引っさげて再登場した。大衆への不信感が“転向”を促したのかもしれない。月刊言論誌『発言者』を発刊したり、討論番組「朝まで生テレビ」(テレビ朝日系)の常連パネリストとして熱弁をふるった。

 

 私は一瞬、目を疑った。目の前に現れたのは「革命」を叫ぶ過激派ではなく、「真正保守」を標榜する論客としての彼だったからである。日本の核武装や徴兵制の導入、防衛費の倍増、尖閣諸島の実効支配強化…。その“豹変”ぶりに呆気(あっけ)にとられ、私はその人の存在を忘れることにした。新安保条約が実は「(沖縄の)3度目の捨て石」につながる「日米地位協定」とセットになっていることに、当時の私は気が付いていなかった。その時の悔恨(かいこん)がその後、沖縄に目を向けるきっかけになったような気がする。彼との分岐点はこの辺にあったのかもしれない。

 

 余りにも唐突な自死だと思った。しかし、西部さんは昨年暮れ、あるテレビ番組で「10月22日に死ぬことに決めていたんです。でも、この日はたまたま総選挙と重なったもんで…」と語っていた。愛弟子を自認する東京工業大学の中島岳志教授(近代思想史)はこう述懐する。「自分を保つことができない状態で、延命を目的とした時間を過ごすことを、思想的に是としなかった。自分の意志で行動できる間に、自ら死を選ぶという決意を語っていた」(1月26日発行『週刊金曜日』)―。最後に会ったのは1月5日。「自分の命は、a few weeks(数週間)」とその時、西部さんは告げたという。その通りになった。妻との死別や持病への悩みを抱えていたが、「思想的な死」とは一体、どんな死なのだろうか―。

 

 かつて、西部さんと評論家の佐高信さんとの対談を取り上げたテレビ番組があった。世間では「左右の激突」と呼ばれた。当然、右が西部さんで、左が佐高さんである。約3年間続き、その内容は『思想放談』(朝日新聞社)などの本にまとめられている。「学問のすすめ」というテレビ対談(CS放送「朝日ニュ−スタ−」)で、佐高さんがあるエピソ−ドを披露している。

 

 「最初の福沢諭吉からニ−チェ、夏目漱石など関心をもつ思想家が重なっているのに驚いた。番外的に取り上げた美空ひばりでは好きな歌まで同じである。それで一緒にカラオケに行ったりしたのだが…。まもなく、西部はしばしば『サタカ君を左翼にしておくのは惜しい』と私を冷やかし、私も『西部さんは保守にしておくのは惜しい』と笑って返すようになる。私がサヨクかどうかは別にしてもである。思想的には真反対だといわれている西部と私が嗜好的にはよく似ているのだなと思った。それ以上に嫌いな人間が同じということで、2人は“同盟”している。発言に体重がかかっていない、あるいはペラペラしゃべる口先だけの人間を侮蔑するという共通感覚をもっているのである。」―。2000年11月15日、2人は参議院の憲法調査会に参考人として呼ばれた。当然のごとく、西部さんは改憲賛成派で佐高さんは反対派だった。

 

 「自裁死」の1か月前の『アエラ』(12月18日号、朝日新聞社)は西部さんとウ−マンラッシュアワ−の芸人、村本大輔さん(1月2日付当ブログ『「ウ−マンラッシュアワ−」という知性と“善意の人族”』参照)との対談を掲載している。互いに意気投合し、対談は3時間にも及んだという。その中で、西部さんは現在の日米関係について辛辣(しんらつ)にこう語っている。「米国もめちゃくちゃになっているから日本を守る気なんてない。それに北朝鮮のような侵略性むき出しの国が核武装すると世界の迷惑だからつぶせと言うけど、最も侵略的なのは米国に決まっている。僕は日本人だけど、その圧倒的大多数はアメリカンデモクラシ−の名の下にアメリカの属国民になっている」―。「安倍一強」の対米追従姿勢に対する痛烈な批判である。

 

 私はこの対談を読みながら、「60年安保」の光景を思い出していた。安倍晋三首相の祖父が当時の岸信介首相である。ひょっとしたら、「日米安保」粉砕を叫んだ”革命戦士“の心中奥深くには、この「血族」の悪夢が消えることのない刻印として生きていたのではないか。文芸評論家の浜崎洋介さんは追悼文に、酒場での西部さんの言葉を紹介している。「もしもね、君が言っていることが孤立して、全世界の人間が君一人を批判してもね、いいかい絶対に引くんじゃないぞ。逆に、精力の全てを尽くして自分を立てることに集中しなさい。それが物を書くということだよ」(1月25日付「岩手日報」)

 

 「こんな国捨てて彼岸に亡命す」(1月23日付)―。朝日新聞に載った川柳である。西部さんは私にとって、安保DNAで結ばれた“戦友”のひとりだったのかもしれない。合掌

 

 

(写真はありし日の西部さん=イン−タネット上に公開の写真から)

 


2018.01.29:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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