神出鬼没の賢治と「岩手発」文学の躍動:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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神出鬼没の賢治と「岩手発」文学の躍動


 昨年の第157回芥川賞に盛岡在住の沼田真佑さんの『影裏(えいり)』が選ばれたのに続き、今月16日に選考会が開かれる第158回の同賞候補作(5作)に岩手ゆかりの2人がノミネ−トされるなど「岩手発」文学の躍動が著しい。遠野出身で千葉県在住の若竹千佐子さん(63)の『おらおらでひとりいぐも』(2017年11月8日付当ブログ「Ora Orade Shitori egumo」参照)と、盛岡に実家がある木村紅美(くみ)さん(42)の『雪子さんの足音』の2作。さらに、門井慶喜さん(46)の『銀河鉄道の父』も直木賞候補にのぼっている。そんな中で目を引くのが、我が「イ−ハト−ブはなまき」が生んだ”偉人“、宮沢賢治の神出鬼没ぶりである。「出たぞぉ〜」。まるで、お化けみたい…。

 

 たとえば、若竹さんの本のタイトルは賢治の詩「永訣(えいけつ)の朝」からの援用であるし、木村さんにはずばり、『イギリス海岸 イ−ハト−ヴ短篇集』(2008年)という作品がある。また、門井さんの候補作は賢治の父親、政治郎の視点から描いた「賢治像」である。そのほか、生誕100年を迎えた絵本作家、いわさきちひろの伝記『いわさきちひろ 子どもへの愛に生きて』(松本猛著)には、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」(『農民芸術概論綱要』)という賢治の言葉が思想の原点になったことが詳述されている。

 

 しかし何といっても、意表を突くのは作家活動だけでなく、舞台演出家としても知られる古川日出男さん(51)の『おおきな森』(「群像」2018年1月号)である。正式なタイトルは「木」をピラミット型に6個重ねた、作字不能な文字。連載初回で優に単行本一冊分(400字詰300枚)という分量に加え、そのスケ−ルの大きさに当方の想像力はとてもついていけない。完結を待たなければ、この宇宙規模の小説の帰趨(きすう)はようとしてとして知ることさえできない。それはさておき、この小説の中にも我が賢治が突然、出没するのである。同伴者は『堕落論』で知られる坂口安吾(1906−1955年)である。

 

 賢治の詩に「丁丁丁丁丁」(『疾中』所収)という字が何か所にもちりばめられた謎めいた作品がある。安吾がこの詩と格闘する様子を古川さんはこう描写している。「なんと直線的で、鋭角的であることか。なんと殺…殺人的であることか。釘の旁(つくり)か?はたまた釘を、ある一点に打ち込んでいるのか?ハンマ−をもって?甚だしい、甚だしいなあ、と繰り返した。そして詩の全篇を読み解こうとした。咀嚼(そしゃく)せんとした。ぜんぜん鑑賞というという次元ではなかった。まるごと感受するのだった。まず、ここには苦悶がある。このことを安吾は断じた。熱がある。ひどい発熱のせいだ、無惨な疾病の、そこに賢治は…宮沢賢治は溺れている」―。安吾に憑依(ひょうい)した賢治が目の前にいる。いや、逆か…。

 

 無頼を気取る安吾は元々、賢治に首ったけだった。たとえば、文芸評論家の小林秀雄を批判した『教祖の文学』には賢治の詩「眼にて云ふ」を引用して、こう書いている。「私は然(しか)し小林の鑑定書など全然信用してやしないのだ。西行や(源)実朝の歌や徒然草が何者なのか。三流品だ。私はちっとも面白くない。私も一つ見本をださう。これはたヾ素朴きはまる詩にすぎないが、私は然し西行や実朝の歌、徒然草よりもはるかに好きだ」(1947年)

 

 「賢治がもう少し、余命を永らえていたら…」という問いかけは、賢治研究者の間ではある種、禁句(タブ−)の感がある。賢治は1933(昭和8)年9月21日、37歳の短い生涯を閉じたが、その1年半前に「満州国」建国が宣言されている。読み進むうちに、もうひとりの人物が姿を現した。同じ東北は山形・鶴岡出身の軍人(陸軍中将)、石原莞爾(いしはら かんじ=1889〜1949年)である。満州事変の発端となった柳条湖(りゅうじょうこ)事件にかかわり、満州国建国の立役者とされた。日本の敗戦で、この国は夢幻(ゆめまぼろし)と消えた。一方、賢治が「ドリ−ムランドとしての日本岩手県である」(『注文の多い料理店』広告チラシ)と位置づけた「イ−ハト−ブ」はその後、どこへ行ったのか―。

 

 

 石原と賢治は一時期、過激な日蓮主義(法華経)を奉じる在家仏教集団「国柱会」(こくちゅうかい)に身を置いたことがある。僧侶の田中智学によって創設され、世界統一を目指す「八紘一宇」(はっこういちう)をスロ−ガンが掲げた。「世界最終戦論」を提唱した石原の原点になった思想である。ところで、賢治のドリ−ムランド(イ−ハト−ブ)の建国は果たして、成ったのか―。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」と賢治は言った。古川さんに言わせれば、「世界がぜんたい幸福」=「絶対平和状態」こそが最終目的となる。しかし、賢治の死後数年を経て、日中戦争が勃発し、太平洋戦争に拡大したことは歴史の示すとおりである。そして、いま現在も世界は「戦争」の瀬戸際に立たされている。だから、古川さんは口ごもりつつ、ブツブツとこう書くのである。

 

 「…だからいまは、そこに至るまでは……、とも語られぬ言葉(――……――)をともなって読める。読もうと思えば、読めてしまう。石原莞爾ならば、そう読む。そう読み解いて、柳条湖事件を起こした」―。不気味な暗示である。「イ−ハト−ブ」建国が未完であるだけではなく、ひょっとすれば、石原が夢見たあの「偽満」(旧満州国=中国語で、ウエイマン)への道を、賢治が辿ったとでもいうのであろうか。「語られぬ言葉」を、作者は「どう語ろうとしているのか」―。

 

 賢治自身、「それ(イ−ハト−ブ)はまことにあやしくも楽しい国土である」(チラシ)と書いている。そう、満州国はかつて「王道『楽土』」と呼ばれた。何やら、意味深な響きはしないか。今後、この物語がどんな展開を見せるのか、目が離せない。そういえば、「五族協和」を掲げた満洲建国大学に学んだ記録作家の上野英信は生前、こう語っていた。「日本や中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの学生たち(五族)が好んで歌ったのは賢治の『精神歌』だった」。「日ハ君臨シ/カガヤキハ/白金ノアメ/ソソギタリ…」―。賢治が農学校の生徒のために作詞した、この「(花巻農学校)精神歌」はいまでも賢治関連行事では必ず、歌われている。

 

 最後に門井本にひと言―。愚作である。あこぎな商売の家業(質屋)に反抗したはずの賢治の葛藤や親子間の宗教的な対立には余り踏み込まずに、天才少年への賛歌を一族でうたい上げた「宮沢家(まき)」の愛の物語。結局は賢治に一杯食わされたというお粗末の一席ー。

 

(写真は文壇に新風を巻き起こす「岩手発」文学の数々)

 

 

《追記》

 宮沢賢治と石原莞爾の関係性に踏み込んだ著作としては『宮沢賢治殺人事件』(吉田司著、1997年)、『イ−ハト−ブと満洲国―宮沢賢治と石原莞爾が描いた理想郷』(宮下隆二著、2007年)などがある。前者は「かりに賢治が短命でなかったら、石原らとともに満州国幻想に陥っていたのではないか」と指摘。後者は「日蓮に源流を発する同じ理想の、別の表れ。賢治が心のユ−トピアを目指したのに対し、石原は現実のユ−トピアを実現しようとした」と分析している。

 

 


2018.01.13:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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