「沖縄と核」、そして北朝鮮の核・ミサイル:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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「沖縄と核」、そして北朝鮮の核・ミサイル


 「核弾頭搭載のミサイル誤射」―。こんなショッキングな事実を伝えたNHKスペッシャル「スク−プドキュメント/沖縄と核」(9月10日放映)が、北朝鮮による核実験やミサイル発射という最近の緊迫した事態を受け、大きな波紋を呼んでいる。復帰前の沖縄で秘かに進められていた米国による「核基地化」の実態が元米兵らの証言や記録文書によって、初めて明らかにされた。映像は当時の沖縄が一触即発の核戦争の瀬戸際にあったことを白日の下にさらす内容となっており、一方的な”北朝鮮脅威”論が高まる中で、「核抑止」論に対して警鐘を鳴らす作品となっている。

 

 ミサイル「ナイキ・ハ−キュリ−ズ」の誤射は1959年6月19日、米軍那覇飛行場(現那覇空港)で起きた。操作を誤って、ブ−スタ−が突然点火し、水平に発射されたミサイルは付近の海上に落下、一人の米兵が死んだ。ナイキ部隊の整備担当だった、ロバート・レプキ−さん(81歳)は番組の中でこう証言した。「突然、大きなゴ−という音が響いて、ナイキが海に突っ込んでいった。地面には同僚が倒れていた。核爆発が起きていれば、那覇が吹っ飛んでいた。沖縄の人々は事故のことを知る権利があると思う」。また、別の米兵は「弾頭の爆発規模は広島型と同じ20キロトンだった」と語った。

 

 私は今年5月、沖縄・伊江島(国頭村伊江村)を訪れた。本島・本部港からフェリ−で約30分、人口4200人弱のこの島に「ヌチドゥタカラ(命が宝)の家」と名付けられた反戦平和資料館がある。「沖縄のガンジ−」と呼ばれた阿波根昌鴻(あわごん しょうこう=1901年―2002年)が生涯をかけて捧げた「非暴力・平和運動」の生きた証しがここに収められている。その一角にロケット砲の先端のように見える奇妙な展示物が置いてあった。「模擬核爆弾」という説明があった。この島と展示物がどんな関係があるのか、その時はピンとこなかった。今回のテレビ放映でそのナゾが解けた。

 

 太平洋戦争末期の1944年、旧日本軍は伊江島に東洋一の飛行場を建設したが、翌年4月には米軍が上陸。島民の3分の1に当たる約1500人の命が奪われ、生き残った島民は米軍が初上陸した慶良間諸島などに強制移住させられた。2年後、島に帰還した島民たちは変わり果てたふるさとの姿に呆然と立ち尽くした。家は焼き払われ、ブルド−ザ−で強奪された土地には新しい飛行場(米軍基地)が建設されていた。核配備訓練を前提とした基地の拡大がすでにこの時から始められていたのである。

 

 1960年、日米安保条約が改訂されたその年、米軍伊江島飛行場で水爆の模擬爆弾「MD−6」が戦闘機から投下され、その直撃を受けた島民の石川清鑑さん(当時28歳)が即死した。展示物はその模擬爆弾だった。東西冷戦のさ中、この事件は極秘裏に処理された。1962年10月の「キューバ危機」をきっかけに東西の対立はさらに強まり、中ソに射程を定めたミサイルは「HOT」(発射準備完了)の状態にセットされていた。核のボタンはいつ押されてもおかしくはなかった。

 

 1972(昭和47)年の沖縄返還に際して、日米間で結ばれたとされる、いわゆる「核密約」についても衝撃的は新証言が飛び出した。日本周辺で重大な緊急事態(有事)が生じた際に事前協議だけで、米軍が沖縄へ核兵器を持ち込み、また嘉手納那覇、辺野古の基地を核兵器貯蔵地として活用するという内容で、 昨年亡くなった、当時の国防長官だったメルビン・レア−ドさんはインタビュ−こう証言した。「我々は日本を守り続けたかった。(核のない)裸の状態の日本で、沖縄に核がおけなくなれば他を探さなければならなかった。(密約の)沖縄は日本政府が決めた。日本政府としてはいえなかったのだろう」―。

 

 花巻市議会9月定例会に付託された―「核兵器禁止条約」の署名・批准を求める請願書は本会議で辛うじて採択されたが、それに先立つ総務常任委員会(阿部一男委員長ら6人)では、「北朝鮮が核実験やミサイル発射を実行し、世界各国と同じテ−ブルに着くとは思えない」、「国連会議には核保有国や日本は参加しておらず、実現性に乏しい」などの意見が多数を占め、不採択になった経緯がある。こういう時期だからこそ、私たちはこの番組から学ぶべきことが多いのではないかと思う。

 

(写真は反戦平和記念館「ヌチドゥタカラ(命が宝)の家」に展示されている「模擬爆弾」や薬きょうなどの残骸=2017年5月4日、沖縄県伊江島で)

 

《閑話休題》

 番組が放映された9月10日、私は渡辺崋山や啄木研究家でもある知人で、愛知県田原市在住の歴史家、別所興一さん(78)と花巻郊外の湯治宿に投宿した。当然、「沖縄と核」が話題になったが、息子さんの奥さんが伊江島出身と知ってびっくり。そして、話が盛り上がっていた時、今度は沖縄読谷村在住の彫刻家、金城実さん(78)から携帯の着信音が。「以前にもこんな因縁めいた出来事があった。こっちの行動がいつもお見通しみたいで…」と話しに花が咲いたという次第。ちなみに「ヌチドゥタカラ(命が宝)の家」の前には金城さんの鬼の像が建っている。

 


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