縁(えにし)の不思議:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
縁(えにし)の不思議


 「東北のなかでもとりわけ交通の便がよくない町に立地しながらも、1960年代からジャズ喫茶として地道に営業し続けてきたのに、店全体が津波に流されてしまった。幸い、店主の佐々木賢一氏は後ろから襲ってくる津波をギリギリで逃げ切ったが、長年集めた店内のレコ−ドや写真やミュ−ジシャンからの手紙などが一切合財なくなってしまった。半世紀以上の過去の記録が、一気に消えてしまったわけだ」―。日本在住の日本文化研究者、マイク・モラスキ−さん(63)は2006年、日本語で初めて書いた『戦後日本のジャズ文化』でサントリ−学芸賞を受賞したが、2年前に刊行された岩波現代文庫版のあとがきに冒頭のような文章を寄せている。

 

 文中の佐々木賢一さんこと「賢ちゃんは」は東日本大震災(3・11)でがれきの荒野と化した三陸沿岸の大槌町駅前で、ジャズ喫茶「クイ−ン」を経営していた。創業は60年近くも前、岩手最古と言われた。大津波はこの老舗を一気に飲み込み、奥さんの命を奪ったうえ、2万枚以上のレコ−ドを海へと流し去った。震災直後、私は無残な姿をさらけ出す跡地に呆然と立ち尽くしていた。足元には数枚のレコ−ドの破片が泥まみれなって散らばっていた。名古屋市内の妹さんの家に避難していた賢ちゃんは3ケ月後、花巻市に居を移した。

 

 「死んだ男の残したものは/ひとりの妻とひとりの子ども/他には何も残さなかった/墓石ひとつ残さなかった」(谷川俊太郎作詞、武満徹作曲『死んだ男の残したものは』)―。賢ちゃんの生還を祝ったライブが開かれ、畏友の坂田明トリオがこの名曲を奏でた。ボロボロとあふれる大粒の涙が真っ白いひげを濡らした。こぶしで目をぬぐいながら、賢ちゃんが言った。「生死を分けたのは運命のいたずらだとしか考えられない。でも、生かされた以上、この歌のように精一杯生きるしかない」―。賢ちゃんが別の追悼ライブで「おかしなアメリア人がいるんだよ」とモラスキ−さんを紹介してくれた。その言いぐさが振るっていた。「この男はおれ達よりもジャズに詳しいんだよな。それだけじゃない。居酒屋論も展開する。ただもんじゃないぞ」―。あった、あった。『呑めば、都』なんていう著作も。

 

 私の妻が亡くなったちょうど1週間後の昨年8月5日、賢ちゃんはまるで後を追うように突然、旅立った。妻より1歳年上の76歳だった。長女の多恵子さんが住む、花巻市東和町の自宅に焼香に伺った。懐かしい遺影の前に1通の封書が置かれていた。「モラスキ−さんからです。どうぞ」と多恵子さんが言った。丁重なお悔やみの言葉が何枚にもわたって、日本語でつづられていた。「彼がね、また新しい本を出したんだって」と分厚い文庫本を見せてくれた。『新版 占領の記憶/記憶の占領』(岩波現代文庫)―。「戦後沖縄・日本とアメリカ」という副題がついていた。ペラペラとめくって見て、びっくりした。私が「沖縄」ウオッチをする際にいつも参考にさせてもらう芥川賞受賞作家、目取真俊さん(58)の文学論に多くのペ−ジを割いていたからである。

 

 目取真さんは1997年、『水滴』で第117回芥川賞を受賞した。「戦後生まれの小説家の中で、彼ほど『戦争の記憶』という問題を真摯かつ独創的に追究し続けた作家はいないだろう」とモラスキ−さんは同書に書いている。この小説はウチナ−口(沖縄方言)を効果的に使いつつ、とくに沖縄戦の内奥を鋭くえぐった作品である。私がさらに驚いたのはヤマトンチュにも読解が困難なこのテキストを英語で翻訳していたことだった。ジャズピアニストでもある、その異能多彩ぶりは当然のこととして、この米国人が沖縄に寄せるまなざしにこころを打たれた。「私としてはなるべく広い読者層に紹介したく、アメリカの地味ながら由緒ある文学雑誌に拙訳を掲載してもらった」とその気持ちを明かしていた。

 

 1月7日付当ブロブの《追記―3》で触れたように、目取真さんのブログ「海鳴りの島から」は「辺野古」新基地建設現場の動きをリアルタイムで知ることができる、私にとっては“羅針盤”の役割を担っている。本業の作家活動をわきに置き、目取真さんは連日のように現場にカヌ−を漕ぎ出し、抗議行動を続けている。その両立性について、モラスキ−さんはこう指摘する。「作家・批評家・運動家としての総合的な活動こそ、現在の沖縄における戦争と占領の継続性をくっきりと浮き彫りにしている」―。3年前の秋、目取真さんは沖縄県東村高江のヘリパッド(ヘリコプタ−離着陸帯)建設現場で、機動隊員から「土人」発言を浴びせられた。ニライカナイ(琉球国)の地に根を下ろした目取真さんにとっては「現場」に身を置くことそれ自体が小説の作法なのである。

 

 賢ちゃんにモラスキ−さんを紹介され、その人が今度は「目取真」論を展開する。つくづくと「縁(えにし)の不思議」を思う。「他生の縁」とも「多生の縁」ともいう。私は時々、賢ちゃんの仏前に手を合わせ、そして、毎日のように「海鳴りの島から」をのぞきながら、沖縄の無法を体に刻み込む。「おかしな」外国人に仲を取り持ってもらった「縁」で…

 

 

(写真は「賢ちゃんを励ます会」に集まったジャズ仲間。右から在りし日の賢ちゃん、老舗ジャズ喫茶「ベ−シ−」店主の菅原正二さん、サックスの坂田明さん=2011年6月27日、一関市のベ−シ−で。右の写真はモラスキーさん=インタ−ネット上に公開の写真から)

 

 

《追記》

 

 2018年11月9日付当ブログで紹介した作家、葉真中顕さんの『凍てつく太陽』(幻冬舎)が第21回大藪春彦賞を受賞した。


2019.01.21:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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