美しい距離:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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美しい距離


 

 「神さまたちが降り立ったみたいだよ」―。亡き妻の居室ごしに遠望できる霊峰・早池峰山(1917叩砲僚藉Ю磴呂海Δ笋辰董∋笋帽陲欧蕕譴襪里常だった。「山はもう冬だがね」という来訪者の言葉にハッとした。振り向くと、てっぺんは真っ白だった。10月末にうっすらと積もったという。ご託宣(たくせん)役だった妻の死から今日11月5日でちょうど「百ヶ日」を迎えた。仏教ではこの日を「嘆き悲しむことを終わらせる」という意味で「卒哭忌」(そっこくき)と呼ぶのだという。「仏式というやつは随分と押しつけがましい」(9月25日付当ブログ「サンゴ礁の海へ」参照)と悪態をついたのはつい1ケ月余り前のことだった。そして、あっちへこっちへの右往左往の日々…。

 

 「人は死んだらお山に還っていくんだよ」―。『遠野物語』の遠野に暮らしていた祖母は北上山地の最高峰である早池峰山を仰ぎながら、幼い私にそう語って聞かせてものだった。妻がそのお山をながめ暮らした部屋に座してみる。人家がまばらに点在する平野部から里山へ、さらに幾重かに前後する奥山をたどっていくと、霊峰はそのさらに上でキラキラと輝いていた。この光景はやはり「神々しい」としか表現のしようがない。「そうか、妻はこの道筋を逆にたどりながら、きっと神々の領域に行きついたということなのかもしれない」。素直にそんな気持ちになれたような気がした。私はずっと「喪失感」という独りよがりな言葉で、妻の死を語り続けてきたのではなかったのか。

 

 そんな折、沖縄・石垣島に住む娘から「死んだ人との関係?が私はなるほどな〜と思いました」と一冊の本が送られてきた。『美しい距離』(2016年7月刊)―。作者は小説家の山崎ナオコ−ラさん(40)。名前を知っている程度でもちろん読んだことはない。2年前に芥川賞候補になり、昨年は島清恋愛文学賞を受賞した。末期がんにおかされた妻と看護にあたる夫やその周辺との「距離感」を描いている。主人公の夫婦はともに40代初めで、年齢差を除いては私たち夫婦の場合と似通っている。こんな一節にぎくりとした。

 

 「ビジネスバッグから爪切りとビニ−ルテ−プを取り出し、爪切りの両脇にビニ−ルテ−プを貼る。爪が爪切りの横から飛ばないように留めるのだ。細い右手を取る。ぷちんぷちんと白い部分に刃を入れていく。三日月形がビニ−ルテ−プのべたべたした面にくっ付いていく。ぷちんぷちんという音に夢中になる。ぎょっとするほど楽しい。この愉悦はなんだろう。好きな人の爪を切るというのは、こんなにも面白いことだったのか」―。二人は爪切りの前段で、こんな会話を交わしている。●〜「…ツ、爪を切ってあげようか?」。勇気を振り絞って言ってみた。少しだけ、声が掠(かす)れた。「うん、頼むわ」。にこにこと答える。言ってしまえば、簡単な遣り取りになった。それなら、もっと早く言えば良かった〜●

 

 死の1カ月ほど前から、私の妻はほとんど寝たっきりの状態になった。ヘルパ−の力も借りたが、入浴だけは他人じゃイヤだと言った。全身をきれいに洗い流す介助役をやった。やらざるを得なかったというのが本音だった。結婚して初めての経験だった。「お母さんには羞恥心(しゅうちしん)がなくなったの」とさりげなく聞いてみた。「ほかの男にはあるわよ。でもね、あんたになんかはとっくに」…。顔を見合わせながら、大笑いをした、距離がぐんと近くなったような気がした。息を引き取ったのはその数日後のことだった。作中の夫婦との会話にうなずきながら、その近似性になんだかホッとさせられた。

 

 妻の死を語る時、私は「喪失感」というある種、安易な常とう句に身をゆだねすぎてはいなかったか。生き残された自分の都合だけを語り、逝(ゆ)きしものについては実は何も語っていなかったのではないか―。『美しい距離』はこんな文章で結ばれている。

 

 「1年が過ぎ、墓を建てて納骨し、どんどん妻と離れていく。…墓の前で手を合わせると、尊敬語も謙譲語も出てくるようになった。出会ってから急速に近づいて、敬語を使わなくなり、ざっくばらんな言葉で会話し始めたとき、妻との間が縮まったように感じられて嬉しかった。でも、関係が遠くなるのも乙(おつ)なものだ。淡いのも濃いのも近いのも遠いのも、すべての関係が光っている。遠くても、関係さえあればいい。宇宙は膨張を続けている。エントロピ−は常に増大している。だから、人と人との距離はいつも離れ続ける。離れよう、離れようとする動きが、明るい線を描いていく」―

 

 霊峰の峰々に反射する雪はやがては消え、そして、、ふたたび降り積もる。一度、姿を隠した神々はまた、同じ姿で戻ってくる。このようにして「降臨」は永遠に繰り返される。この小説は死を描きながら、一方で「死して生きる」という往還の不滅を暗示した物語でもあるのだと思う。神々が宿る霊山―「早池峰」は今日も頭上でキラキラと輝いている。この道筋こそが私にとっての文字通りの「美しい距離」なのかもしれない。

 

 

 

(写真は天空高く光り輝く霊峰・早池峰=11月2日朝、花巻市桜町3丁目の自宅から)

 


2018.11.05:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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