万引き家族―そして、地獄谷とドロボ−部落と:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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万引き家族―そして、地獄谷とドロボ−部落と


 

 「直接的なきっかけは、既に死亡している親の年金を、家族が不正受給していた事件を知ったことです。『犯罪でしかつながれなかった』というキャッチコピ−が最初に思い浮かびました。血のつながっていない共同体をどう構築していけるか、ということですね。特に震災以降、世間で家族の絆(きずな)が連呼されることに居心地の悪さを感じていて。だから犯罪でつながった家族の姿を描くことによって、『絆って何だろうな』と改めて考えてみたいと思いました」―。映画「万引き家族」で第71回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムド−ルを受賞した是枝裕和監督は制作の動機をこう語っている。ふと、既視感に襲われた。50年近くも前の、それは“地獄谷”の光景だった。

 

 大都会の高層マンションの谷間にポツンと取り残されたような平屋の一軒家に祖母と両親、母の妹、それに父親に拾われた幼い男の子の5人が暮らしている。ある寒い日、父とその子は集合住宅の廊下にたたずんでいる少女を発見する。虐待を疑った父は少女を連れ帰り、その日から6人家族の奇妙な生活が始まる。大人たちに血のつながりはない。全員が暗い過去を持つ、いわば“偽装家族”である。頼みは家主の祖母の年金だが、足りない分は親子の連携プレ−による「万引き」で補う。約2ケ月後、「5歳の女の子が行方不明」というニュ−スがテレビに流れる。やがて「万引き家族」の危うい絆に亀裂が…。作家の角田光代さんは「理解できぬ世界は悪か」(6月8日付「朝日新聞」)と題して、映画の寄稿文にこう書いている。

 

 「この家族が、言葉に拠(よ)らず共有している暗号を、当然ながら家族以外の他者は理解できない。理解できないものを、世のなかの人はいちばんこわがる。理解するために、彼らを犯罪者というカテゴリ−に押し込める。よく理解できないこと、理解したくないことに線引きをしカテゴライズするということは、ときに、ものごとを一面化させる。その一面の裏に、側面に、奥に何があるのか、考えることを放棄させる。善だけでできている善人はおらず、悪だけを抱えた悪人もいないということを、忘れさせる」。角田さんはこう書き、自らを振り返る。「実際に起きた事件の見出しを見たときと、この映画の印象が対極くらい異なるのは、だからだ、とようやく気づく。この映画は、そんな線引きをさせないからだ」と―。

 

 「地獄谷」―。その谷は九州は筑豊・田川の、いまや悪名をとどろかす麻生太郎・財務大臣の先祖が築いた麻生炭鉱の近くにあった。ヤマの閉山によって、地底(じぞこ)を追われた人たちが肩を寄せ合うようにして暮らしていた。町方の人たちは顔をしかめながら、地獄谷と、そう呼んでいた。ボタ山(石炭ガラ)が目の前にそびえたち、谷の入り口には5階建ての精神病院が建っていた。病院から流れ出る汚水が谷底に油が浮いたような小さな池を作り、そのまわりに10数戸の長屋が軒を接していた。「線引き」を超えたいと思うのは新聞記者の習い性である。交渉の結果、その1軒に約2週間にわたって住み込み取材することに成功した。当初はまるで、人と人とを隔てる「人外境」に迷い込んだような錯覚を覚えた。

 

 臨月の若い女性のおなかがある日突然、引っ込んだ。でも、赤ちゃんの泣き声が聞こえない。件(くだん)の“妊婦さん”はかたわらのザルを指さし、ニヤッと笑った。妊娠を偽装し、扶助をだまし取っていたのだった。谷底を闊歩しながら、長屋連中との世間話に興じていた中年の男性と市街地のス−パ−でばったり出会ったことがあった。黒い眼鏡をかけた男性は右手に杖を突き、妻が介添えしていた。私に気が付いた夫婦は口に封をするようにと人差し指を口に当てた。「石炭人夫として、国には随分と貢献したからな。ま、れっきとした国家公務員というわけさ…」。谷にも戻った男性はケラケラと笑い飛ばした。長屋の住人は全員が生活保護を受給していた。

 

 「先祖からもらった大事な名前だからね。だから…」―。毎日、豚のえさを集めて回る初老の男性がいた。表札に「弓長(ゆみなが)」とあった。本名は「張(ちょう)」さん。戦時中、炭鉱労働者の不足を補うため、朝鮮半島から強制連行された。植民地化にあった当時、日本政府は強制的に名前を変えさせる「創氏改名」を押し付けた。「張を二つに分けてね。これが民族としての最低限の抵抗だったよ」と張さん。弓長さん宅は谷の住人たちのたまり場だった。みんなが張さんを気遣うようにして茶飲み話に花を咲かせた。血のつながりよりももっと濃い絆に結ばれた共同体がそこにはあった。

 

 差別的な蔑称で「ドロボ−部落」と呼ばれる集落が地獄谷の近くにあった。万引きやスリを生業(なりわい)にする集団で、周囲ではそう呼びならわしていた。作家の故結城昌治の『白昼堂々』はここを舞台とした小説である。当時はまだ「義賊(ぎぞく)」とか「義侠(ぎきょう)」といった言葉が通用する時代だった。大都会で万引きした高級反物を閉山地帯の弱者に安く分け与え、自分たちは“義賊”を気取っていたらしい。こんなエピソ−ドを聞くにつれ、「人外」とは実は線引きをする側の謂(い)ではないのか―、そんな思いにかられた。

 

 「キズナよキズナ。血縁よりもそっちよ」―。目の前の画面から甲高い声が聞こえて、我に返った。「万引き家族」の周辺には捜査の手が伸びていた。“家業”に疑問を持った息子が故意に警察に捕まったのだった。一家は離散の憂き目を余儀なくされた。それが当然の帰結だったとしても、家族を超えた真の絆をそこに見た思いがした。万引き家族と地獄谷とドロボ−部落…線引きされた内側にこそ、現代社会が手放してしまった”何か”を再発見したような気持になった。それがとても愛おしいものに感じられた。「おまえは一体、どっちの住人なのだ」と審問されているような気分にさせられた。

 

 映画公開後、是枝監督が国の祝意を辞退したというニュ−スを目にした。「映画がかつて『国益』や『国策』と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、大げさなようですが、このような『平時』においても公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないかと考えています」と是枝監督は語っていた。「万引き家族」はその言葉通りの作品だった。

 

 

(写真は「万引き家族」が全員集合。映画ポスタ−から=インタ−ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

 

 


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