魂の秘境から秘境へ:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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魂の秘境から秘境へ


 

 遺作となった『魂の秘境から』がやっと、届いた。朝日新聞の連載時から、言葉がまるで複雑骨折したような「コ・ト・バ」でしかなくなってしまった今の世に倦(う)み疲れた時など、何度、読み返したことだったか。筆者で水俣病患者に寄り添い続けた石牟礼道子さんが今年2月10日、90歳で旅立ったのを機に単行本にまとめられた。魂の抜け殻みたいな荒野にポツンと取り残されたような寂寥感(せきりょうかん)…。石牟礼さんが遺(のこ)してくれた「秘境」を、私は今日もさ迷い歩いている。たとえば、魂同士がこすれ合う、こんなひと節に出会うために…

 

 

●塘(とも)の斜面の石垣はわたしの幼いことからの遊び場で、ふだんはめったに人影もなく、ガゴたちの棲(す)み家(か)と思われていた。ガゴとはこのあたりに棲む化物たちの総称で、なかでも天草から来たというおせん女狐(じょきつね)が親分だと言われていた。夜中に酔っ払ってこの海岸を通る男たちは、美しい女に化けたおせん女にたぶらかされるのだそうだ。そういうところへ、よくも独りでかよったものだ。幼な心に、狐になりたい一心だったのである(2015年2月17日掲載)

 

●わたしのいまだに抱え続けているテ−マに、生命の孤独というものがある。赤児というものは、どうやっても泣き止まぬことがある。泣きやまぬ赤児の孤独と、泣き止めさせられぬ母親とが、わたしの潜在的なテ−マといってよい。人間だけではなく、動物たちにもそういう悲哀があるのではなかろうか。わたしはかつて「詩経」と題する、お経まがいの詩を作ったことがある。この世の果ての海を、蓮(はす)の葉に乗って漂うひとりの赤児の気持ちをうたったつもりだ。「無明闇中(む−みょうあんちゅう)/遠離一輪(おんり−いちりん)/流々草花(る−る−そ−げ)」(2015年6月30日掲載)

 

●澄ちゃんと土堤で苺を摘んでいると、雲が出て、にわかに陽が翳(かげ)ってくるときがある。澄ちゃんは空を見上げて、「蛙が雲の上で鳴きよるよ」と言う。そう言われると、蛙の声はたしかに雲の方から聞こえる気がする。「雲の上に田んぼのあるとじゃろうか」。すっかり、その気になってわたしは答える。ころころころころ、こ−ろころ。やっぱり雲の上から聞こえる。むかしの田園では、大地と空はひとつの息でつながっていた。だから、雲の上に田んぼがあって、そこで蛙が鳴いていると、澄ちゃんとわたしは信じることができたのだろう(2015年10月27日掲載)

 

●「道子、よう見てみれ。ピナどん(巻き貝類)が数え切れんしこおるじゃろが。逃げ足の速さ、速さ。人間にゃ聞こえんばってん、おめき合うて逃げよるぞ。追っかけて、取ろうぞ。大昔は、人間たちよりも、ここらあたりの海辺の方が賑わいじゃったろうぞ。さあ、追っかけようぞ」。母は躍るような足つきで、岩をまたぎ、腰をかがめては、磯行き篭を持ち直していた。「あ〜あ、人間の暮らしちゅうもんは、窮屈なもんやなあ。ビナどんのようにはいかん。海辺は広うしてよかなあ」(2016年12月13日掲載)

 

●それは光であり、生命の源とも予兆ともいえる。山の木々、渚のビナ(貝類)ども、田んぼのビギども、街の人間たち、生きとし生けるものの吸う息、吐く息ともなって、あまねく満ちている。海と大地を幾重にも取り巻いて、宇宙までつながっている気がする。それは中空から、音となって聞こえてくることもある。天のビキどもの田植え歌は、そんな音のひとつに違いない。わたしは、これは大人になってからではあるけれど、そんな音のことを「秘音」(ひおん)と呼ぶようになった。生命の秘められた源がひととき音のかたちをとって、たまさか漏れ聞こえてくるからである(2017年2月21日掲載)

 

●母の気持ちのどこかには、心を病んだ実母おもかさまのことがあったのだろう。夫が権妻(ごんさい=妾)を囲ったことが一因か、裾を裂いた着物を引きずり、されいてゆく姿は「しんけい(神経)どん」とあだ名されていた。「唐、天竺(てんじく)…」などと終始つぶやいてもいたから、その魂はいよいよ遠ざれき(遠くまでさまようこと)していたに違いない。村の子どもたちは琵琶弾きどんたちを見ると、「かんじん(勧進=物乞いの意味)、かんじん」と囃し立てて石を投げることもあった。つぶては「しんけいどん」にも、助けに入る孫娘のわたしにも飛んできた(2017年5月25日掲載)

 

●かつては不知火海の沖に浮かべた舟同士で、魚や猫のやり取りをする付き合いがあった。ねずみがかじらぬよう漁網の番をする猫は、漁村の欠かせぬ一員。釣りが好きだった祖父の松太郎も仔猫を舟に乗せ、水俣の漁村からやって来る漁師さんたちに、舟縁越しに手渡していたのだった。ところが、昭和30年代の初めごろから、海辺の猫たちが「狂い死にする」という噂が聞こえてきた。地面に鼻で逆立ちしてきりきり回り、最後は海に飛び込んでしまうのだという。死期を悟った猫が人に知られず姿を消すことを、土地では「猫嶽(ねこだけ)に登る」と言い習わしてきた。そんな恥じらいを知る生きものにとって、「狂い死に」とはあまりにもむごい最期である(2018年1月31日掲載。これが最後の原稿となった)

 

 

(磯には無数の生きものたちのざわめきが聞こえる。文中の挿入写真から=写真家、芥川仁さん撮影。インタ−ネット上に公開の写真から)

 

 


2018.05.08:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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