いつか来た道―「5・15」から「4・16」へ:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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いつか来た道―「5・15」から「4・16」へ


 

 「おまえは国民の敵だ」―。国会前の公道で国会議員に向かって、暴言を浴びせた幹部自衛官がいた。4月19日付「東京新聞」は「際立って世の中の変わりだしたのは、霞が関三年坂のお屋敷で白昼に人が殺されたあたりからだろう」という作家、永井荷風の文章を紹介し、こう続けている。「意に沿わぬ政治家への脅し、圧力と言わざるを得ない。イラク日報問題などでの自衛隊批判への不満だろうか。しかし、国民が選んだ国会議員への罵声はそのまま国民への罵声である。その行為によって、どちらが、『国民の敵』になってしまうかにどうして気がつかなかったか」―。三年坂の殺人とは1932(昭和7)年、犬養毅首相が首相官邸で青年将校に暗殺された「5・15事件」である。

 

 「父さんは益々丈夫で御奉公して居りますから安心してください。よく母さんの言う事を聞いて、父さんに負けない立派な兵隊さんになるように勉強しなさい。畑のトマトや『ささげ』等はよくなりましたか。鶏はどうなりました」―。私の手元に黄褐色に変色した軍事郵便の束がある。先の大戦に応召された父親はソ連軍の捕虜となり、シベリアの捕虜収容所で死んだ。37歳の短い人生だった。出征先の奉天(旧満州)から両親や妻、3人の子どもたちなどへ宛てた手紙は60通以上にのぼる。「近世哲学ノ発展ハ二ツノ重要ナル事件ニ依リ準備サレテイル。即チ藝術ヤ学問ニ於ケルギリシャ古典文化ノ復興ト…」。学生時代の哲学の講義ノートには几帳面な字がびっしり書き連ねられている。父親を偲ぶ、これが唯一の遺品である。「検閲済」の判子が押された文章の行間からは留守宅の生活を気遣う気持ちが伝わってくる。そして、ご奉公を尽くした末の末路は「栄養失調死」だった。

 

 軍人・軍属の戦没者数230万人中、60%以上の140万人が栄養失調による餓死か、栄養失調に伴う病死だというデ−タがある。「兵士の死」を分析した一橋大大学院の吉田裕教授(日本近現代軍事史)は近著『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』の中でこう記述している。「栄養失調の問題で重要なのは、戦争神経症とも関連する戦争栄養失調症である。…極度の痩(や)せ、食欲不振、貧血、慢性下痢などを主症とする患者が多発した。治療はきわめて困難で死亡するケ−スが多かった」―。さらに、当時の戦時資料は死に至るさまをこう記している。「ついに体はミイラ状となり、『生ける屍』(しかばね)の如くなる。ついには燃えつきるロウソクの『火が消ゆるが如く鬼籍に入る』」(同書)

 

 父親は1945年12月16日、ソ連軍の病院に収容された。2年前、厚生労働省を通じてロシア側から提供されたカルテにはこう書かれている。「全般的なだるさ、食欲不振、脚の痛み、咳、衰弱を訴える。全体的な容体は悪くない。ビタミンBとC、貧血防止用のヘマトゲン(血液製鉄剤)を投与。診断名は第掬抉浜楴債款品造咾傍ご瓢抉蝓廖宗そして、2週間後の12月30日午前7時、「心臓活動が衰退し、患者は死亡した。診断名は第慧抉浜楴債款鼻廖淵ルテより)。まさにロウソクの火が消え入るような静謐(せいひつ)な死だった。

 

 「父さんは『名誉の戦死』ではなく、戦病死だったからねぇ…」―。母親は26年前、83歳で旅立つまで、こう言い続けた。太平洋戦争が敗色濃厚になっていた前年の昭和19年夏、父親は旧満州(中国東北部)へ応召され、約1年後に日本は敗戦を迎えた。だから、敗戦のわずか4カ月後に死亡したことになる。炭鉱という過酷な捕虜生活と貧しい食料事情…が追い打ちをかけたとはいえ、それに先立つ軍隊生活が父親の体を徐々に蝕(むしば)んでいた。精神科医の野田正彰さんは戦争栄養失調症について、こう指摘している。「実は、兵士は拒食症になっていたのである。食べたものを吐き、さらに下してしまう。壮健でなければならない戦場で、身体が生きることを拒否していた」(『戦争と罪責』)

 

 一生、「戦病死」を悔いながら逝(い)った母親を私は不憫(ふびん)に思う。決して、国民の「敵」ではなかったはずの父親をシベリアの凍土に失った、これが230万人分の1の庶民の戦後史の一断面である。「(今回の自衛官暴言の)『4・16事件』。後になってあれが時代の変わり目だったと考え込んでみても遅い」と東京新聞のコラムは結んでいる。「5・15事件」の際、青年将校らによって撒(ま)かれたアジビラにも「国民の敵」という文字が躍(おど)っていた。いまでも時折、新聞の片隅にシベリア抑留者の死亡者名簿が掲載される。あの戦争はまだ、終わっていない。そんな中、”未決”の戦後をあざ笑うかのようにネット上では不気味な言葉が復活しつつある。国賊、非国民、売国奴……

 

 

(写真は戦地から届いた父親からの軍事郵便)
 



 


2018.04.20:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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