「STAR/SAND」―賢治と沖縄、そして震災7年、そしてあぁ公文書「改ざん」…:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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「STAR/SAND」―賢治と沖縄、そして震災7年、そしてあぁ公文書「改ざん」…


 

 沖縄本島の本部港からフェリ−で約30分、真っ平らな島の中でそこだけが恐竜のように首をもたげている。「タッチュ−」(城山)の名で知られるグスク(城跡)で、標高は約172メ−トル。この島こそが「沖縄戦の縮図」と呼ばれた伊江島である。私がここを訪れたのは昨年5月。南西部の海岸線には大小のガマ(洞窟)がワニのように口を開けている。「ニャティヤガマ」はその中でも最大級の面積を誇り、「千人洞(ガマ)」の名前も持つ。沖縄戦のさ中、島民たちが防空壕として身を隠したのがその名の由来である。太平洋戦争末期の1944年、旧日本軍はこの島に東洋一の飛行場を建設したが、翌年4月には米軍が上陸。わずか6日間の戦闘で、島民の3分の1に当たる約1500人の命が奪われた。

 

 映画「STAR/SAND―星砂物語」(日豪合作、2017年公開)は、「卑怯な」日本兵と「憶病な」米兵…つまり、敵味方の“脱走兵”がニャティヤガマに身をひそめながら、共同生活を送る場面から始まる。監督は「戦場のメリ−クリスマス」(大島渚監督、1987年)で助監督を務めた、米国生まれでオ−ストラリア在住の作家、演出家のロジャ−・パルバ−スさん。青春時代、ベトナム戦争に遭遇したパルバ−スさんはその不条理に疑問を抱き、祖国を捨てた。以来、「戦時下において、“戦わない”裏切り」―をテ−マに掲げ、3年前、映画化の原作となる『星砂物語』を日本語で執筆・出版した。映画は以下のような展開で進行する。

 

 日系アメリカ人の母を持つ16歳の少女が日本に帰国し、ふとしたきっかけでこの島に住み着くことに。実はサンゴ礁の海に散らばる「星砂」に興味があったのだった。星の形の粒子からなる砂状の海洋性堆積物で、この砂には永遠の生命が宿っていると島の人たちは信じていた。二人の脱走兵と少女との間には不思議な連帯感みたいなものが築かれていくが、米兵の狙撃で負傷した日本兵の兄の出現で事態は一変する。「皇軍兵士」を誇る兄は憶病で裏切り者の二人を殺してしまう。それを見た少女も背後からその兄を突き殺す―。少女はガマでの出来事を日記に残して島を去る。戦後70年を経て、この存在を知った女子学生が卒業論文の資料として、日記をたどる形で戦争のむごさ…ガマの中で繰り広げられた「地獄」を追体験していく―。

 

 殺害される直前、脱走米兵が少女からプレゼントされた星砂を夜空に向かって放り投げるシ−ンがある。海底に沈んでいた星砂は一瞬のうちに天空に舞い上がり、銀河宇宙は満天の星空に姿を変える。皇軍兵士の栄光と狂気、そして破滅…。気の遠くなるようなアンビバレンスの背後にふと、宮沢賢治の物語世界が広がっていくような気がした。

 

 「Strong in the rain/Strong in the wind…」―。賢治の詩「雨ニモマケズ」の英訳などで知られるパルバ−スさんは著名な賢治研究者でもある。2008年には第18回宮沢賢治賞を受賞している。2月24日、盛岡で行われた映写会で舞台あいさつに立った際、私はこう問うた。「この映画に賢治の精神はどのように投影されているのか」―。パルバ−スさんは待ってましたとばかりに、ニッコリ微笑みながら答えた。「生前、賢治はせいぜい関西までしか足を延ばしていない。しかし、その精神は広大無辺だ。星砂のシ−ンでは賢治の『よだかの星』や『銀河鉄道の夜』などを無意識のうちにイメ−ジしていた。銀河宇宙のように生命はひとつにつながっている。そのことを訴えたかった。沖縄を舞台にした“賢治映画”かもしれない」

 

 伊江島には琉歌にちなんで「ヌチドゥタカラ(命が宝)の家」と名付けられた反戦平和資料館がある。「すべて剣をとる者は剣にて亡ぶ(聖書)/基地をもつ国は基地で亡び/核をもつ国は核で亡ぶ」―。入口の壁にはこんな文字が大書されている。「沖縄のガンジ−」と呼ばれた阿波根昌鴻(あわごん しょうこう=1901年―2002年)が生涯をかけて捧げた非暴力・平和運動の生きた証しがここに収められている。パルバ−スさんは映画のねらいについて「非暴力の戦争映画を作りたかった」と語った。ロケ地をこの島に定めたのも決して偶然の巡り合わせではなかったのである。

 

 「If someone is near death in the south/He goes and says, ‘Don’t be afraid’」(南ニ死ニサウナ人アレバ/行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ=パルバ−スさん訳「雨ニモマケズ」の一節から)―。銀河鉄道に運ばれるようにして、賢治の声は確かにニライカナイ(南の島)に届いていた。映画を見ながら、そう思った。

 

 と、ここまで書いて新聞をみやると、一面トップの大見出しが目に飛び込んできた。「沖縄本島にミサイル部隊/『地対艦』検討、中国牽制を強化」(2月27日付「朝日新聞」)―。政府が地対艦誘導弾(SSM)の部隊を沖縄本島に配備する方向で本格的な検討に入った―ことを伝えていた。日本最西端の与那国島には2年前から陸上自衛隊の沿岸監視部隊が置かれており、政府の計画では南西諸島(先島)の宮古島と石垣島にはSSM部隊のほか、SAM(地対空誘導弾)部隊の配備がすでに決まっている。「南西」脅威論に名を借りた“捨て石作戦”に他ならない。憲法に「自衛隊」の存在を明記するという“底意”がこれではっきりしたではないか。在日米軍と日本の自衛隊とが結託した、平成最後の置き土産としてのさらなる「琉球処分」―がその正体である。

 

 化けの皮がはがされたというのに…アベシンゾウよ、政府・与党の面々よ、居直りを続けるのはもう、いい加減にやめんか!!追っかけるように公文書”改ざん”事件が浮上!!!国会周辺には「アベヤメロ」コール!!!!

 

★いつまでも本土の出城にされる島(2月28日付「朝日川柳」)

★知らず知らず「先軍政治」に染まりだし(同上)

★どう生きるかが大事だってよ安倍総理(同上)

 

 

(写真はニャティヤガマの中で日本兵(満島真之助)と向き合う少女(織田梨沙)=インタ−ネット上に公開の映画シ−ンから)

 

 

 

《追 悼》―震災7年と白銀さん

 

 

 2018年3月11日午後2時46分、東日本大震災から7年を迎えた。今年1月吉日の日付で被災者の白銀照男さん(69)から転居通知が届いた。「この度、震災以前に暮らしていた近くに家を再建しました。母と妻、娘の3人はまだ行方不明のままですが、必ず見つかると信じ祈りながら前へと進んでいきます。避難所や仮設住宅での6年10カ月を経て、息子夫婦と孫2人の5人暮らしです」

 

 新住所は岩手県上閉伊郡大槌町安渡2丁目7番3号ー。「安渡」(あんど)の地名を見てホッとさせられた。忘却を峻拒(しゅんきょ)するすべての「記憶」がこの地名には刻まれているからである。「安渡」とは元々「安堵」(あんど)の意が込められた命名だったにちがいない。震災直後、白銀さんは「3人がわが家に戻ってくる時、迷子になったら困る。だから…」と話していた。冬の長かった東北・岩手の地にも遅い春が駆け足でやってきた。近く、新居を訪ねてみようと思う。

 

 「3・11大震災とイーハトーブ」、「三陸の未来に光あれ」…。仲間たちと企画した追悼イベントのポスターがまだ、書斎の壁に貼られたままである。「かあさ〜ん、はち子、美由紀…」―、がれきの荒野に肉親を捜し求める、白銀さんの声がいまも耳の奥にこだましている。震災7年のこの日、朝茶を飲もうと戸棚を開くと、愛用の湯飲み茶わんが割れているのに気が付いた。一瞬、不吉な予感がした。破壊された土偶には生命再生の願いが込められているとも言われる。そのことをふと、思い出した。いや、この意想外の符合に実は内心、戦(おのの)きながら一日中、考え続けた末にたどり着いたというのが正直な気持ちである。7年目の節目が被災地の真の再生につながることを心から祈りたい。この日、私も78回目の誕生日を迎えた。

 

 He does not consider himself/In whatever occurs…his understanding/Comes from observation and experience/And he never loses sight of thingsアラユルコトヲ/ジブンヲカンジョウニ入レズニ/ヨクミキキシワカリ/ソシテワスレズ=パルバースさん訳「雨ニモマケズ」から)

 

 

山城議長らに有罪判決

 

 

 名護市辺野古の新基地建設や東村高江の米軍北部訓練場ヘリコプター発着場建設に対する抗議活動を巡り、威力業務妨害や公務執行妨害・傷害などの罪に問われた山城博治沖縄平和運動センター議長(65)ら3人の判決公判が14日午後1時半、那覇地裁で開かれた。柴田寿宏裁判長は議長に懲役2年(求刑懲役2年6月)、執行猶予3年を言い渡した。ほか2人も猶予刑を言い渡した。うち一人は一部無罪とした。弁護団は判決を不服として即時控訴した。

 

 起訴状によると、山城議長は2016年1月に名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ工事用ゲート前でブロックを積み上げ、資材搬入の業務を妨害したとされる。弁護側は資材搬入を止めるためのブロックを積み上げ行為について、威力業務妨害を適用することは「表現の自由を侵害し違憲だ」などと主張し、器物損壊を除く各事案で無罪を訴えていた。那覇地裁周辺には議長らの支援者が多く駆け付け、拳を挙げて無罪を強く訴えていた【3月14日付琉球新報電子版】

 

 

 

《ブログ休載のお知らせ》

 

 

 私的な事情で恐縮ですが、妻の病気看護に専念するため、当ブログ「イ−ハト−ブ通信」をしばらくの間、休載させていただきます。これまでのご愛顧とご叱正に心より感謝を申し上げます。地方議会の片隅に身を置きながら、その内と外に垣間見えた出来事や現象をただ日記風に書き記したもので、アクセスしていただいた皆様方の心証は度外視した内容でした。失礼の段、お許しください。

 

 生地を同じくする宮沢賢治については当ブログでも何度か取り上げてきましたが、最終回も賢治だったことに我ながら驚いています。でも、単なる「賢治論」ではなく、その射程に「沖縄」が入っていたことに内心、ホッとしています。というのも、私自身の立ち位置の中で「賢治と沖縄」は密接不可分の関係にあるからです。「汝(なんじ)の立つところを深く掘れ、其処(そこ)に泉あり」―。沖縄学の祖、伊波普猷(いは ふゆう)の言葉を噛みしめています。またお会いできる日まで、お元気で…

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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