生と死、そして「果てる」ということ:はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

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生と死、そして「果てる」ということ


 「生」とは何か、そして「死」とは!?……年明け早々から、のっぴきならない命題を背負わされてしまった。火付け役は言わずと知れた芥川賞作品『おらおらでひとりいぐも』(若竹千佐子著)である。岩手・遠野出身の63歳。デビュ−作がいきなり受賞するという快挙だった。そのキ−ワ−ドは「ひとり」―。タイトルの由来は宮沢賢治の詩「永訣の朝」に出てくるロ−マ字書きの有名な一節ーOraOradeShitoriegumo」である。死出に旅立とうとする妹トシとの別れを詠った詩だが、この「Shitori」に比べ「ひとり」の方はやけに賑やかなのだ。一体、どうしたことなのか―。

 

  「おらの心の内側で誰かがおらに話しかけてくる。東北弁で。それも一人や二人ではね、大勢の人がいる。おらの思考は、今やその大勢の人がたの会話で成り立っている。おらの心の内側にどやって住んでんだが。あ、そだ。小腸の柔毛(じゅうもう)突起のよでねべが。それでもいい、おらの心がおらに乗っ取られでも」―。主人公の「桃子」さんは現在、74歳。東京オリンピックの時に東北のふるさとを飛び出して早や50年。15年前に夫を亡くしていまは一人暮らし、のはずなのだが…。桃子さんは絶えず、誰かと話している。どうも桃子さんの分身たちのようなのだが、心のどこかで夫との「死別」を喜んでいるような気配も感じられる。桃子さんの口からふと、もれる。

 

 「周造(夫)は惚れだ男だった。惚れぬいだ男だった。それでも周造の死に一点の喜びがあった。おらは独りで生きでみたがったのす。思い通りに我れの力で生きでみたがった。それがおらだ。おらどいう人間だった。なんと業の深いおらだったか。それでもおらは自分を責めね。責めではなんね。周造とおらは繋がっている。今でも繋がっている。周造はおらを独り生がせるために死んだ。はがらいなんだ」―。夫の死がもたらしてくれた「ひとり」のはずだったが、桃子さんはまいまも夫と一緒に生きているようなのである。「生の躍動」を発散する“桃子さん”フィ−バ−に世間が沸いていた時、ひとりの老年の男が冬空の東京・多摩川にわが身を沈めた。

 

 保守派の論客、西部邁さんの「自裁死」(享年78歳)―つまり「自死」(ひとり死)である(1月29日付当ブログ「ある保守論客の自裁死」参照)。遺書の体裁をとった絶筆『保守の真髄―老酔狂で語る文明の紊乱』(2017年12月20日)の最後に「人工死に瀕するほかない状況で、病院死と自裁死のいずれをとるか」という一節を設け、こう語っている。「病院死を自然死と呼ぶなどというフェイク(嘘)の言葉遣いを含めて病院死を選ぶ者が圧倒的に多く、自裁死を変死扱いする風潮があるのが述者(西部)には、不満であるというよりも、解せないのである。それは『死に方は生き方だ』ということを考えない者たちの抱くふしだらな思考習慣からきた病院依存症にすぎないのではないか」

 

 西部さんと私は同じ「60年安保」世代である。ブログでも言及したように、この世代に共通するのは「安保DNA」とも呼べる、青臭くも頑固な”矜持(きょうじ)”みたいなものを後生大事に手放さないでいることである。だから、西部さんの死を「思想死」と名づける向きもある。私自身、そんな気もするし、そうでもないような気もする。妻の真智子さんは4年前、8年間の闘病の末に亡くなった。学生運動の“同志”でもあった妻を、西部さんは付きっきりで看病した。その間、『妻と僕―寓話と化す我らの死』(2008年)と題する本を上梓(し)している。「死して生きる」―。西部さんの自裁死は、実は真智子さんとの「生」を「生き直す」ための予定された旅立ちではなかったのか。桃子さんが死別した夫の周造と生き直しているように…。

 

 「お果てになりました」―。土地の言葉で「無常の使い」というその知らせは未明の静寂が運んでくれたような気がした。水俣病患者に寄り添い続けてきた作家の石牟礼道子さんには生前、何度かお会いしたことがある。作家のいとうせいこうさんが言うように「チャ−ミングな巫女(みこ)」(2月11日付「朝日新聞」)のような方だった。90歳の生涯を石牟礼さんは「あの世」と「この世」を行ったり来たりしていたのではなかったか。ふと、そう思う。最後にその間を取り持つのが「死」を告知するこの無常の使いなのだという。作家の池澤夏樹さんが追悼文の中で、その生きざまをこう語っている(2月10日付当ブログ参照)。

 

 「そもそもこの人自身が半分まで異界に属していた。それゆえの現世での生きづらさが前半生での文学の軸になった。その先で水俣病の患者たちとの連帯が生まれた。彼らが『近代』によって異域に押し出された者たちだったから。それはことのなりゆきとして理解できる。でも、たぶん石牟礼道子は初めから異界にいた。そこに相互の苦しみを通じて回路が生まれたのだろう」―。苦海に沈んだ患者家族の霊魂たちとの交感、加害企業・チッソに凛(りん)として向き合うその眼差し…。「生と死」を同時に共有していたという意味で、石牟礼さんはこの二つを超越して、文字通り「果てた」のだと思う。

 

 桃子さんの「生」に始まり、この一カ月余りの間に二つの大きな悲報に接した。70台の後半を迎えた私がその分、「あっち」に近づいたということである。立て続けの「喪失感」は計りしれない。石牟礼さんに代わって、今度は“元気印”の桃子さんに背中を押してもらおうと思う。ちょっとすまし顔で、石牟礼さんが森羅万象(しんらばんしょう)の真ん中にちょこんと座っているのが遠くの方に見える…。合掌

 

 

(写真は芥川賞を受賞した若竹さん。「ひとり」論争に一石を投じた=インタ−ネット上に公開の写真から)

 


2018.02.13:Copyright (C) ヒカリノミチ通信|増子義久
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