賢治、慟哭!?…イ−ハト−ブはなまき(下):はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ

はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
賢治、慟哭!?…イ−ハト−ブはなまき(下)


 復興支援をめぐる「騒動」のあおりを受け、思い出したくもない“悪夢”を思い出してしまった。これまた被災地(者)に背を向ける、あっと驚く出来事である。東日本大震災の直後の2011年6月に開かれた花巻市議会にある議案が上程された。中身を見て、眼をむいた。全国から寄せられた義援金が何と一般会計補正予算案に計上され、それが今度は被災者を受け入れた旅館やホテルに「補助金」名目で支給するという内容だった。受け入れ先には「災害救助法」に基づき食事代などの実費が支払われることになっていた。当時、着のみ着のままでふるさとを追われ、当地に避難した人は千人以上に達していた。この日、大槌町からの避難者などで傍聴席はあふれ、審議の行方を固唾(かたず)を飲んで見守っていた。

 

 「他人の善意を自分のポケットに入れるようもの。賢治精神が地に落ちたも同然ではないか」―。被災地を行ったり来たりしていた私は語気を強めてその真意をただした。この種の義援金は「歳計外現金」として、一般会計に繰り入れることは地方自治法で禁じられていた。「法的には瑕疵(かし)はない。受け入れ側も困っている。だから…」。のらりくらりと逃げの答弁を続ける当局側…。次の瞬間、眼を疑うような光景が議場内に広がった。

 

 「さっさと帰れ」―。革新を名乗る議員のひとりが傍聴席に向かって、暴言を投げつけた。「この花巻の地から出て行けということですか」、「私たちには帰るところはないんです」…。2階の傍聴席は騒然とした雰囲気に包まれた。その後の展開に今度は腰を抜かしてしまった。革新会派の議員が先導する形で「発言調査委員会」が設置された。「暴言を聞いたという被災者は複数いたが、発言者も特定できず、確証は得られなかった」という結論になり、矛先は逆に私自身に向けられた。「事実確認が難しい問題をことさらに取り上げ、議会の品位を傷つけた」という理由で、処分(戒告)を受けたのは約6ケ月後。当局側が法に抵触することを認めたのは何と8カ月もたってからだった。

 

 「内陸避難、見守り手薄/被災男性が孤独死」―。震災翌年の12月6日付の地元紙「岩手日報」に大見出しが躍った。大槌町から避難していた男性(当時49歳)が民間の借上げ住宅(みなし仮設)で死んでいるのが見つかったというニュ−スである。すでに1週間以上が経過していた。私は12月定例会の一般質問で、ひとり人暮らしの被災者に対する見回り強化を求めた。「いわゆる被災者の方にも市民と同様のサ−ビス提供を行っている。行政の公平性ということも考慮しなければならない」―。言葉に窮した私は「随分、あっけらかんとした答弁ですね」と応答するのが精一杯。つまり、こころが伝わって来なかったのである。この時、答弁に立った総務部長(当時)はその後「宮沢賢治学会イ−ハト−ブセンタ−」の事務局長に天下りした。今回、学会と地元愛好団体との折衝の窓口になった人である。推して知るべし…。

 

 花巻市は将来都市像のスロ−ガンに「イ−ハト−ブはなまき」の実現を掲げ、個人名を冠した例としては全国で初めてと言われる「賢治まちづくり課」を設置している。賢治関連予算として毎年2億円以上が計上され、各種イベントや行事にも「イ−ハト−ブ」というカタカナ書きが目立つ。イ−ハト−ブ一色と言っても過言ではない。それだけに賢治の命日である「9・21」はとりわけ意義深い日である。

 

 85回忌に当たる今年の命日は晴天に恵まれ、夜空には銀河宇宙を思わせる星空が広がった。郊外の「雨ニモマケズ」詩碑の前で行われる恒例の「賢治祭」には外国人を含むファンが全国から集い、賢治作品の朗読や地元小中高生などによる野外劇、郷土芸能などを鑑賞した。この日はたまたま、9月定例会の最終日にぶつかっていた。「核兵器禁止条約」の署名・批准を求める請願書の採択に際し、私は「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)という人口に膾炙(かいしゃ)したあの一節を読み上げ、賛意を表した。採決の結果、請願は賛成14:反対10で採択された。ここまでは良かった。でも…。

 

 定例会最終日には当局と議会との間で“打ち上げ”を兼ねた懇親会が開かれるのが恒例となっている。ところが、今年は運が悪いことに賢治祭と重なってしまった。命日は変えることはできないが、懇親会の日程を変えるのには何の不都合もない。しかし、懇親会に名を借りた飲み会は予定通りに行われた。(9月21日付当ブログ「賢治の命日よそに、当局と議会が打ち上げ」参照)

 

 「私にとって、賢治さんとは」―。かがり火がたかれた詩碑の前では参加者が思い思いの「賢治像」を語り始めていた。「賢治さんに支えられて人生を生きてきた」、「目標を失った現代社会で必要とされているのはまさに、賢治精神ではないのか」…。校内放送でこの日のイベントを知り、隣の北上市から自転車を漕いで駆けつけたという高校3年生が息せき切って話した。「ぼく、賢治さんがやっぱり好きなんです」―。明けて翌22日、「宮沢賢治・花巻市民の会」が進めてきた「大槌の子どもたちを支援しよう」―という善意の企画は賢治学会の圧力でとん挫した。行政も議会も学会もしょせんは「体面」を保つことだけに汲々とする「同穴の貉(むじな)」…つまり、”賢治精神“とは対極に位置する存在であることを思い知らされた。

 

 冬枯れの空に「イ−ハ−ト−ブ」の旗がヒラヒラと舞っている。そのいずれもが見事なまでに色あせている。賢治の慟哭(どうこく)がまた聞こえてきた。

 

http://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku/e/aef0b3f55406a749d5883aed18946d0f

 

(写真は傍聴席に詰めかけた内陸避難者=2011年6月23日、花巻市議会議場で)


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