東北の関ヶ原2:山形E旅
山形E旅
参加者絞込
E旅|いい旅するならE旅へ
E旅通信
歴史探訪
■
H O M E
■
山形E旅について・・
■
会社案内/私たちについて
■
国内旅行情報
■
海外旅行情報(格安航空券など)
■
山形E旅|春のモデルプラン(事務局用)
■
山形E旅|夏のモデルプラン(事務局用)
■
山形E旅|秋のモデルプラン(事務局用)
■
山形E旅|冬のモデルプラン(事務局用)
■
山形の旅/Q&A
■
山形E旅スタッフレポート
■
旅に役立つリンク集
■
山形人《口コミ》メンバー紹介
■
山形人《口コミ》おすすめ情報
■
募集型ツアープラン
■
お問い合せ
■
モデルプラン
■
【仙台発着】海外旅行プラン
■
【東京・その他空港発着】海外旅行プラン
■
《おかえりなさいアンケート》
■
トピックス
■
メモ集
■
カレンダー集
■
ブックマーク集
■
イメージ集
東北の関ヶ原2
長谷堂城を守るのは最上義光の右腕「志村光安」、副将は豪勇「鮭延秀綱」といわれ1千人前後の城兵が頑強に抵抗しました。
(小説などでは城兵の数を5千としているものも多いのですが、この城はそこまで大きくありませんし、山形城や須川沿いに展開した軍勢もあるので、最重要とはいえ支城一つにそんなに回せるほどの余裕はなかったでしょう)
直江勢は繰り返し繰り返し攻めますがなかなか落ちません。それどころか剣豪で知られる上泉泰綱など多くの武将が戦死する事態となってしまいました。
そんな中、義光が兼ねてより要請していた伊達家の援軍も姿を現します。今までは複雑な両家関係でしたが、孤立状態だった最上家にとっては非常に心強かったことでしょう。また、上山方面より侵攻した上杉勢は大将本村親盛を失い敗北します。最上勢にとって山形が挟み撃ちされるのを防いだこの勝利は大変大きいものでした。
そうこうしているうちに関ヶ原の徳川方勝利が当地にも伝わります。反転して攻撃されることに備えるため上杉勢は撤退することになりますが、それを追撃する最上・伊達勢との間で大激戦が繰り広げられます。難しい撤退戦を指揮する兼続の見事な戦法に、義光本人の兜にも鉄砲が命中するほどのすさまじい戦いです。(この兜は最上義光歴史館に展示されてます、必見!)結局、上杉勢は米沢に撤退、最上勢は庄内より侵攻した上杉勢も撤退または降伏し、ここに長谷堂合戦は終了します。両軍ともに多くの戦死者を出した東北地区まれにみる大激戦でした。
<評価は次回>
2010.07.10:Copyright (C)
歴史探訪
▼
この記事へのコメントはこちら
題名
本文
作成者
URL
画像
編集用パスワード
(半角英数字4文字)
※投稿後すぐに反映されます。
ゲストさんようこそ
ID
PW
■
当サイトについて
■
参加者数
合計 3人
■
記事数
公開
183件
限定公開
0件
合計 183件
■
アクセス数
今日 127件
昨日 466件
合計 3,296,280件
■
ケータイサイト
powered by
samidare
system:
samidare community
(小説などでは城兵の数を5千としているものも多いのですが、この城はそこまで大きくありませんし、山形城や須川沿いに展開した軍勢もあるので、最重要とはいえ支城一つにそんなに回せるほどの余裕はなかったでしょう)
直江勢は繰り返し繰り返し攻めますがなかなか落ちません。それどころか剣豪で知られる上泉泰綱など多くの武将が戦死する事態となってしまいました。
そんな中、義光が兼ねてより要請していた伊達家の援軍も姿を現します。今までは複雑な両家関係でしたが、孤立状態だった最上家にとっては非常に心強かったことでしょう。また、上山方面より侵攻した上杉勢は大将本村親盛を失い敗北します。最上勢にとって山形が挟み撃ちされるのを防いだこの勝利は大変大きいものでした。
そうこうしているうちに関ヶ原の徳川方勝利が当地にも伝わります。反転して攻撃されることに備えるため上杉勢は撤退することになりますが、それを追撃する最上・伊達勢との間で大激戦が繰り広げられます。難しい撤退戦を指揮する兼続の見事な戦法に、義光本人の兜にも鉄砲が命中するほどのすさまじい戦いです。(この兜は最上義光歴史館に展示されてます、必見!)結局、上杉勢は米沢に撤退、最上勢は庄内より侵攻した上杉勢も撤退または降伏し、ここに長谷堂合戦は終了します。両軍ともに多くの戦死者を出した東北地区まれにみる大激戦でした。
<評価は次回>