義母の3回忌:生涯学習ノート

生涯学習ノート
義母の3回忌
23日義母の3回忌が隣県S市で行われた
孫たちが北海道のS市や北関東のU市からきてくれた
仙台空港が閉鎖されているので、S市の娘は福島空港へ飛びU市から拾ってきてもらう格好になった
兄弟2人でゆっくり話をしてきたことだろう

夕方次男の嫁さんも加わり6人で1年ぶりの会食
乾杯の前に、がんやこれからのことについて少し語らせてもらう
女房とは相談のうえ何度も語り合った内容である

がんについては現状と、見通しと、最終段階を迎えたときのことについて話す
見通しについては、データーに基づく平均的な見通しと、自分自身としての取り組んでいることからの見通しについて両面から話す

がんについての話は聞く方もつらいので、手短に淡々と話して見たつもりである
その他にちょうど今『私の「人生ノート」』(エンデングノート)を書いているところなので、トピックス的な部分も話してみる
死亡通知の伝え方、葬式の内容、余計な延命措置不要(尊厳死)相続のことなど

いつかは話しておいたほうがいいとは思いながら、話しだせない話である
話さないままさにしておきたい話である
末期がんにならなかったら話さなかったかもしれない

がんであれば意識もしっかりしているし、これからのことも考えざるをえない
「人生ノート」に少しずつ書き込んで行くと、文字にはあらわせない多くのものがこみあげてくる
その最たるものは親、兄弟の親戚や女房、子供、孫たちへの感謝の思いである
感謝の思いと、「自分の人生これでいいのだ」という思いと、死を覚悟するということが繋がっているような気がする

まだ家族がそろう日はある
これからも臆せずに照れずに自分の思いをきちんと伝えていきたいものである

23日6人で車でS市へ向かう
法要を済ませたあとは孫たち主催の2次会でカラオケと語りあう会であった

22日の抗がん剤点滴を中止し、体調をコントロールしていった甲斐があって2次会にも途中まで参加できた

翌日午後に仙台へ向かったが突然体温が38.8まで上昇し不調になってしまう
原因はわからない
前にもあったことである
静養しているうちに夕食まえには不思議に平熱になってくれた

翌朝体温をはかってみると38度になっている
一応大学病院の主治医に電話で相談してみると、近くの開業医で解熱剤をもらって対処していいというので朝のうちから開業医へでかけ解熱剤を服用する
風邪ではないのでどこかの臓器が炎症を起こしているのであろう

子供たちは3時ころ帰ることとなった
その頃には平熱になっていたので気持ちよく送り出すことができた
S市の娘とは次、いつ会えるのだろうと思ったりする

家族が集まって話し合ってみても昔の子供のときや思いで話をするだけでどんどん時は過ぎていく
家族の集まりとはこれでいいのだろう
また皆そろって会いたい

体調不安で懸念しておった義母の3回忌に参列できほっとしている
子供たちとも会えて、少しかしこまって話ができたことも有意義であった
いい3回忌であった


2011.04.27:Copyright (C) 年だからでなく年がいもなく
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