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「自己開示」
所属している団体Cnetの芋煮会が先日会員のSさん宅で行われた
参加者は仙台山形と東京からの計15名
Cnetでは懇親会の席でひとりずつ「自己開示」と称するスピーチを行うこと恒例としている
近況報告的な内容もあるが、抱え込んでいる悩みや家庭の問題を話す人もいる
今回の芋煮会でも「自己開示」が行われた
病院のベッドの中で考えていたことを話してみた
次のような内容である
○「末期がんになってから死に関することを話すときには「生きる」いうメッセージを込めて話す」
末期がんとわかってから家族にお墓の話を持ち出すと、「縁起でもない!」と言われ、友人、知人に死に関することを口にすると「弱気になってはだめ、しっかりして!」というようなことを言われる
言っている本人はそういうつもりで言っているのではなく、むしろこれから残された人生をしっかりと生きていくために話しているつもりなのだが、聞き手はそうは採ってくれないことが多い
我々には死を忌み嫌い、口にするのを避けたいという意識がありそうである
がんや大病になったら死について軽々しく話してはだめという観念もあるのではないだろうか
しかし死はだれにでも必ず訪れることである
末期がんの患者にはそれがより身近に感じられるという違いだけである
死を忌み嫌うだけでいいのだろうか
「メメントモリー」というラテン語の言葉がある
「より良く生きるために汝死を意識せよ」という意味と記憶している
「良く生きるために死を意識する。死を意識することによって今を良く生きる」という風に解釈している
70歳になったら死を意識することが多くなった
最近は中高年齢者の間で「人生ノート」という死後のために書き遺すような本(ノート)が売れている
「死を意識して今を生きる」意識の表れではないか
死について話すときには聞き手への配慮を忘れずに「メメントモリー」の意識で話したい
○「死を怖いと思うのであれば、今日1日をどう生きるかが大事である」
死ぬのが怖いといいながら、今生きていることの幸せを実感しながら毎日を送っているかという問いを自分に問いかけてみる
何となく起きて食って寝ている毎日になっていないかどうかである
残り少ない人生といいながら、非日常的な毎日を送ることは難しい
平凡な日常生活のなかにも生きている喜びを感じられるような生き方をしていきたい
そのためには感謝の心と、足るを知る心を養うことが必要であろう
日常生活のなかに生きている幸せを感じとれるような感性も必要である
がん患者に対するメッセージとしてよく「生き抜くという気持ちをもて!」「死ということを考えるな!」という言葉を見聞きする
生き抜こうという意識は大事であるが、その意識が強すぎるとそれがストレスになって生きる力が却って弱められるのではなかろうか
絶対に生き抜くという思いを強くすればするほど、死への恐怖は強くなるのではないか
と思う
むしろ強靭に生きていくためには強く生き抜くという気持ちの傍らに、いつでも死ぬるぞという言う気持ちを併せ持つことではないか
生き抜くという思いを抱くと同時に、死から逃げないで、死を意識して受け入れ準備をするという意識である
この意識の持ち方を友人に話したとき、的外れの比喩とは思いながら、生き抜く意識と死ぬる意識をジキルとハイドに例えて話したことを思いだす
死を排除しない、死を必要以上に恐れないためには、「今日一日何ができるか」を考え、それを実行することであると思っている
○「自分の人生を旅にたとえてみた」
人は生まれたときから死へ向かって旅をしているのだ
旅というのは何かを成し遂げるとか実利を得るとかで行うものではない
行く先々で巡り合う人や場面や景色などが与えてくれる感動を求めていく
その感動から自分というものを探ろうとしているのではないか
私も70年の旅をしてきた
自分なりの人生の味を味わうことができたような気がしている
「これでいいのだ」と思える心が芽生え始めている
死ぬまで自分探しの旅が続けられそうである
前もって重たい話と断りながらも以上のような話をしてしまった
予想した通り、話し始めると場の空気が重たくなってしまった
話を受け止めて聞いてくれる仲間に感謝しながら話を終えた
Cnetでは年間のスケジュールを組んで活動している
毎月の勉強会、山形でのカウンセリング、年2回のフォーラム、合宿などを行い質の向上に努めると同時に大学や短大、高校などでのカウンセリングなどを行い社会との関わりにも取り組んでいる
会員同士の絆を強くしていくため、お花見、芋煮会、クリスマスパーテーなども行っている
会員は絆を大切にしていくためにセミクローズ体制としている
全員になるためには会員全員の承諾を得ないと会員になれない体制である
だからこのような「自己開示」ができるのである
朝はCnetの仲間内で交換しているメールを開くことから始まる
メールでは情報のやり取りだけでなく誕生祝いのメッセージや意見交換もしている
70歳になり、がんにもなってみると、このような仲間がいることの幸せを強く感じている
2010.11.05:Copyright (C)
年だからでなく年がいもなく
ありがたい場です
長朗そしてメンバーの皆さんのお話をうかがうたびに,
無意識にですが,いかに生きるかを大事にできるように
なってきたように感じます。
重くなるのは,しっかりと受け止めている証ではないでしょうか。悲観的とならずとも,命の話はやはり重いのだと思います。
自分の思いを話せる場,他者の大切な思いを聴かせて頂ける場があることに,ほんとうに幸せを感じます。ありがとうございます。
2010.11.05:まめこ [
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人生を2度やっているみたいです
たまには、こちらに投稿してみます。
長朗からいろいろお話を聴いていていると、人生を2度生きているような気になってきます。
ちょうど20歳年下で親子に近い年齢差ではありますが、
父親という感覚ではなく、兄に近い感覚を覚えるのです。
やがて来る自分の人生を予習しているような気になることがあります。
「死」というものをいろんな角度からとらえられるような気になっているから不思議です。
以前は怖い対象でしかありませんでしたが、今ではちょっと違うとらえ方をしております。
とは言っても、自分が長朗の立場になったら・・・
同じように振舞えるかといったら、そうはならないと思います。
自分なりの身の処し方、生き方をすこしずつ考えて生きたいと思います。
2010.11.05:ムーミンパパ [
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ありがたいお話です
僕も本当に大先輩たちの経験や体験からいろんなことを学ばせていただいております。
長朗のお話を聞いて改めて思ったことは、一瞬一瞬をもっと大事に意識して過ごしていく必要があるなと思っています。
人は生まれながらにして死に近づく。まさにその通りですね。
これからの時間の使い方を大事にしたいと思っています。
「ガン」についての勉強を少しやろうと思っています。
まずは、代替医療とゲルソン療法の本を取り寄せました。
2010.11.06:佐藤 準一 [
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書き込みありがとう
準ちゃん、ムーミンパパさん、まめこさん、書き込みありがとうございました
ムーミンパパさん、写真の掲載ありがとうございました
白いシャツを着ているのが私ですのでわかります
当日Oさんから頂戴した本に次のように書かれていました
「がんは人を哲学者にする」と
今まで生き死について深く考えてこなかった長朗も末期がんになって考えざるをえない状況に追い込まれているということでしょう
凡夫の身ですので、いい哲学はできませんがそれでも老いたる頭で
自分なりに考えるのです
考えても整理がつかず、自分で自分の考えをまとめ切れていない状況です
先日の自己開示も場を借りて「セルフカウンセリング」をやってしまったのかもしれません
そんな話これからもお付き合い願えれば助かります
2010.11.06:長朗 [
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大好きな長朗へ(●^o^●)
先日のお話しいただいた中で心に残った言葉が、改めて文字として残していただきうれしく思っております。
「むしろ強靭に生きていくためには強く生き抜くという気持ちの傍らに、いつでも死ぬるぞという言う気持ちを併せ持つことではないか」
というところです。
真摯に良い結果を求めて取り組みつつも、どこかで生のリズム(良い時もあれば悪い時もある)を受け入れる余裕、という感覚でしょうか。
私自身もその意識があるからこそ、これまでやってこれたと思っています。
もっともそれが生と死という究極のことで同じように考えられるか、という最上級の試練を与えられている長朗は、やはり最上級レベルに到達しておられる、ということの証ですね。
先日、じっと肌を眺めさせていただき、とても安心しました。
手術の回復が驚異的なスピードだったことを裏付ける元気な張りを感じられたからです。
月曜日の診断を前に、少しナーバスになっていらっしゃるかな?と思い、投稿させていただきました。
2010.11.07:hasegawa [
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不思議
「いつでも死ぬるぞ」というのは望ましいという思い
その思いに近づきたいと思って暮らしている最近です
実はその思いを初めて口にしたのは先日hasegawaさんが拙宅に
訪れてくれたときです
Hさんがメールの送ってくれた「足るを知る」の言葉を使わせて
もらいながら、「自分の人生もまあまあ良かったんではないかと
思えるようになってきた」hasegawa」さんに話していた自分がいました
hasegawaさんだから思いを口にできたのだと思っています
いちど口にしたことは自分のなかで膨らんでいくものですね
これからも「いつでも死ぬるぞ」という思いを目指して生活
いこうと思っています
hasegawaの書き込みを見て不思議な「不思議さ」を感じています
月曜日は主治医の治療方針と自分が考えている治療方針とのすり合わせと、選択・決定作業です
上手に話し合ってみるつもりです
2010.11.07:長朗 [
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不思議
「いつでも死ぬるぞ」というのは望ましいという思い
その思いに近づきたいと思って暮らしている最近です
実はその思いを初めて口にしたのは先日hasegawaさんが拙宅に
訪れてくれたときです
Hさんがメールの送ってくれた「足るを知る」の言葉を使わせて
もらいながら、「自分の人生もまあまあ良かったんではないかと
思えるようになってきた」hasegawa」さんに話していた自分がいました
hasegawaさんだから思いを口にできたのだと思っています
いちど口にしたことは自分のなかで膨らんでいくものですね
これからも「いつでも死ぬるぞ」という思いを目指して生活
いこうと思っています
hasegawaの書き込みを見て不思議な「不思議さ」を感じています
月曜日は主治医の治療方針と自分が考えている治療方針とのすり合わせと、選択・決定作業です
上手に話し合ってみるつもりです
2010.11.07:長朗 [
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○「末期がんになってから死に関することを話すときには「生きる」いうメッセージを込めて話す」
末期がんとわかってから家族にお墓の話を持ち出すと、「縁起でもない!」と言われ、友人、知人に死に関することを口にすると「弱気になってはだめ、しっかりして!」というようなことを言われる
言っている本人はそういうつもりで言っているのではなく、むしろこれから残された人生をしっかりと生きていくために話しているつもりなのだが、聞き手はそうは採ってくれないことが多い
我々には死を忌み嫌い、口にするのを避けたいという意識がありそうである
がんや大病になったら死について軽々しく話してはだめという観念もあるのではないだろうか
しかし死はだれにでも必ず訪れることである
末期がんの患者にはそれがより身近に感じられるという違いだけである
死を忌み嫌うだけでいいのだろうか
「メメントモリー」というラテン語の言葉がある
「より良く生きるために汝死を意識せよ」という意味と記憶している
「良く生きるために死を意識する。死を意識することによって今を良く生きる」という風に解釈している
70歳になったら死を意識することが多くなった
最近は中高年齢者の間で「人生ノート」という死後のために書き遺すような本(ノート)が売れている
「死を意識して今を生きる」意識の表れではないか
死について話すときには聞き手への配慮を忘れずに「メメントモリー」の意識で話したい
○「死を怖いと思うのであれば、今日1日をどう生きるかが大事である」
死ぬのが怖いといいながら、今生きていることの幸せを実感しながら毎日を送っているかという問いを自分に問いかけてみる
何となく起きて食って寝ている毎日になっていないかどうかである
残り少ない人生といいながら、非日常的な毎日を送ることは難しい
平凡な日常生活のなかにも生きている喜びを感じられるような生き方をしていきたい
そのためには感謝の心と、足るを知る心を養うことが必要であろう
日常生活のなかに生きている幸せを感じとれるような感性も必要である
がん患者に対するメッセージとしてよく「生き抜くという気持ちをもて!」「死ということを考えるな!」という言葉を見聞きする
生き抜こうという意識は大事であるが、その意識が強すぎるとそれがストレスになって生きる力が却って弱められるのではなかろうか
絶対に生き抜くという思いを強くすればするほど、死への恐怖は強くなるのではないか
と思う
むしろ強靭に生きていくためには強く生き抜くという気持ちの傍らに、いつでも死ぬるぞという言う気持ちを併せ持つことではないか
生き抜くという思いを抱くと同時に、死から逃げないで、死を意識して受け入れ準備をするという意識である
この意識の持ち方を友人に話したとき、的外れの比喩とは思いながら、生き抜く意識と死ぬる意識をジキルとハイドに例えて話したことを思いだす
死を排除しない、死を必要以上に恐れないためには、「今日一日何ができるか」を考え、それを実行することであると思っている
○「自分の人生を旅にたとえてみた」
人は生まれたときから死へ向かって旅をしているのだ
旅というのは何かを成し遂げるとか実利を得るとかで行うものではない
行く先々で巡り合う人や場面や景色などが与えてくれる感動を求めていく
その感動から自分というものを探ろうとしているのではないか
私も70年の旅をしてきた
自分なりの人生の味を味わうことができたような気がしている
「これでいいのだ」と思える心が芽生え始めている
死ぬまで自分探しの旅が続けられそうである
前もって重たい話と断りながらも以上のような話をしてしまった
予想した通り、話し始めると場の空気が重たくなってしまった
話を受け止めて聞いてくれる仲間に感謝しながら話を終えた
Cnetでは年間のスケジュールを組んで活動している
毎月の勉強会、山形でのカウンセリング、年2回のフォーラム、合宿などを行い質の向上に努めると同時に大学や短大、高校などでのカウンセリングなどを行い社会との関わりにも取り組んでいる
会員同士の絆を強くしていくため、お花見、芋煮会、クリスマスパーテーなども行っている
会員は絆を大切にしていくためにセミクローズ体制としている
全員になるためには会員全員の承諾を得ないと会員になれない体制である
だからこのような「自己開示」ができるのである
朝はCnetの仲間内で交換しているメールを開くことから始まる
メールでは情報のやり取りだけでなく誕生祝いのメッセージや意見交換もしている
70歳になり、がんにもなってみると、このような仲間がいることの幸せを強く感じている