映画「カティンの森」:生涯学習ノート
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映画「カティンの森」
大学生のとき観た「地下水道」と「灰とダイヤモンド」は忘れられない映画となっている
その作品を作ったアンジェイ・ワイダ監督が80歳を過ぎてから作った作品が「カティンの森」である
11時45分からの上映時間で客席はほぼ満席であった
第2次大戦中、ポーランドの人々は、西はドイツから、東はソ連から追われていた
そんななかでポーランド軍の将校たち約15000人は捕らえられて行方不明になる
その後の将校たちの有様と帰還を待つ家族の姿を、残された日記や手紙などから描く
1939年に実際に起きた「カティンの森事件」を題材にしている映画
1943年に独ソ戦が勃発し、ドイツ軍はカティン近郊でポーランド人の遺体が埋められているのを発見
ドイツはソ連の仕業と発表、一方のソ連は否定してドイツの犯罪だと発表
戦後ソ連の影響下に置かれたポーランドでは、カティンについて語ることが禁じられた
ソ連が殺害を認めたのは1990年のゴルバチョフの時代になってから
ワイダ監督の父親もカティンの森事件で殺害されている
ワイダ監督は1957年にフランスを訪れて「カティン事件」の資料集を読み。初めて事件の真相を知ったという
それから映画化まで半世紀がたっていることになる
ワイダ監督作品でしかも「カティン事件」を題材にしての映画ということで上映を心待ちにしていた
ドキュメンタリー風に描いていくのでそれなりの感動は覚えるが、内容が盛りだくさんになりすぎているような気もする
家族の姿として「大尉とアンナ」をはじめ、3つの家族の状況が描かれる
それに大尉と行動を共にしながら生き残った少佐やアンナの甥の物語がからむ
少佐は裏切り者といわれて自殺し、甥はゲシュタポに射殺される
3つの家族と少佐や甥の物語はオムニバス風に描かれるが、それぞれの物語の中身とつながりが少し分かりづらい
当時のポーランドが置かれている状況についての認識がないとよくわからない部分が残る
とくになぜソ連がポーランド将校の大量虐殺をしたのかという事件の背景は知っていないと映画では詳しくは描かれていない
画面の中に当時のニュース映像がでてくる
虐殺して埋めた穴を掘り起こし、次々と死体を掘り起こす様が映し出される
掘り起こした死体をソ連の監視を恐れながら一体一体調べるポーランドの法医学者たちの姿が印象に残る
最後のシーンは将校一人ひとりが小部屋へ連れて行かれ、突然に後ろから射殺される場面が続く
射殺された死体はトラックに積み込まれて次々と穴のなかに廃られていく
ショッキングな映像である
そしてその後、数分、何も映さない無音の真っ暗な画面が続く
そのままミュージック無しの字幕が続いて終わる
80歳を過ぎたワイダ監督の鎮魂の想いが伝わってくる
家族の絆や愛などで感動した想いはどこかへ消えてしまっていた
暗い画面を観ながら想うのは
人間というのはどうしようもないおろかな生き物なのだ
そして恐ろしい生き物なのだ、・・・
そんな想いを抱きながら数分にわたる音なしの字だけの画面を観続けた
この映画は仙台チネで11時と19時台の2回の上映だけで26日まで
山形はフォーラムで3月上映予定
2010.02.18:Copyright (C)
年だからでなく年がいもなく
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その作品を作ったアンジェイ・ワイダ監督が80歳を過ぎてから作った作品が「カティンの森」である
11時45分からの上映時間で客席はほぼ満席であった
第2次大戦中、ポーランドの人々は、西はドイツから、東はソ連から追われていた
そんななかでポーランド軍の将校たち約15000人は捕らえられて行方不明になる
その後の将校たちの有様と帰還を待つ家族の姿を、残された日記や手紙などから描く
1939年に実際に起きた「カティンの森事件」を題材にしている映画
1943年に独ソ戦が勃発し、ドイツ軍はカティン近郊でポーランド人の遺体が埋められているのを発見
ドイツはソ連の仕業と発表、一方のソ連は否定してドイツの犯罪だと発表
戦後ソ連の影響下に置かれたポーランドでは、カティンについて語ることが禁じられた
ソ連が殺害を認めたのは1990年のゴルバチョフの時代になってから
ワイダ監督の父親もカティンの森事件で殺害されている
ワイダ監督は1957年にフランスを訪れて「カティン事件」の資料集を読み。初めて事件の真相を知ったという
それから映画化まで半世紀がたっていることになる
ワイダ監督作品でしかも「カティン事件」を題材にしての映画ということで上映を心待ちにしていた
ドキュメンタリー風に描いていくのでそれなりの感動は覚えるが、内容が盛りだくさんになりすぎているような気もする
家族の姿として「大尉とアンナ」をはじめ、3つの家族の状況が描かれる
それに大尉と行動を共にしながら生き残った少佐やアンナの甥の物語がからむ
少佐は裏切り者といわれて自殺し、甥はゲシュタポに射殺される
3つの家族と少佐や甥の物語はオムニバス風に描かれるが、それぞれの物語の中身とつながりが少し分かりづらい
当時のポーランドが置かれている状況についての認識がないとよくわからない部分が残る
とくになぜソ連がポーランド将校の大量虐殺をしたのかという事件の背景は知っていないと映画では詳しくは描かれていない
画面の中に当時のニュース映像がでてくる
虐殺して埋めた穴を掘り起こし、次々と死体を掘り起こす様が映し出される
掘り起こした死体をソ連の監視を恐れながら一体一体調べるポーランドの法医学者たちの姿が印象に残る
最後のシーンは将校一人ひとりが小部屋へ連れて行かれ、突然に後ろから射殺される場面が続く
射殺された死体はトラックに積み込まれて次々と穴のなかに廃られていく
ショッキングな映像である
そしてその後、数分、何も映さない無音の真っ暗な画面が続く
そのままミュージック無しの字幕が続いて終わる
80歳を過ぎたワイダ監督の鎮魂の想いが伝わってくる
家族の絆や愛などで感動した想いはどこかへ消えてしまっていた
暗い画面を観ながら想うのは
人間というのはどうしようもないおろかな生き物なのだ
そして恐ろしい生き物なのだ、・・・
そんな想いを抱きながら数分にわたる音なしの字だけの画面を観続けた
この映画は仙台チネで11時と19時台の2回の上映だけで26日まで
山形はフォーラムで3月上映予定