相撲:生涯学習ノート

生涯学習ノート
相撲
ここ数日、相撲に関する情報が茶の間をにぎわしている

定年退職する62歳までの14年間JR中央線の阿佐ヶ谷に住んだ
借り上げ社宅の2軒隣に日大の相撲部の合宿所があった

また歩いて5分のところに放駒親方の部屋が、10分のところに前の花籠親方の部屋があった
子どもや孫を連れてはよく日大の合宿所や部屋の朝稽古を見にいったものである

テレビなどで見る稽古風景とは違っていてすざましい稽古であった
汗と砂にまみれた巨体が次から次へと激しくぶつかり合う
その都度バシッ!という肉と肉がぶつかりあう音がする

それに勢いあまって体が囲い板にぶつかる音や激しい息遣いや掛け声などが入り混じる
勝負がつくごとに我先にと稽古相手に群がっていく様は異様な熱気をはらんで別世界のよう

本場所の情景からでは感じることのない激しい勝負の世界の裏舞台であった
往年の若乃花が竹刀をもって大きな声で叱咤激励をしている姿も忘れられない

相撲に関しての思い出がもう一つある

中学生の時の思い出である
中学3年の夏休みに、家に友人のA君が「学校で呼んでいるよ」といって誘いにきた
当時生徒会長をしていたので学校に関する用事でもできたのかと思いながら出かけてみた

学校で待ち受けていたのは相撲部の顧問のO先生であった
到着するなり「今日開催される秋田市の中学の相撲大会に出ろ」、いう
中学校には相撲部はなかったが、O先生は中学校の相撲大会の役員をしていたので学校が参加しないと顔がたたないという

朝から急遽、選手5人のうち4人まで集めたが最後の1人が見つからなかったらしい
それで生徒会長なら承諾するだろうということで自宅までA君を迎えに寄こしたのだ

集められたにわか相撲部員5人は会場である八橋競技場に向かった
到着するやいなや消火ホースのようなまわしを渡される
ごわごわして痛そうなまわし

まわしなど触ったこともなければ着けたこともない
お互いに躊躇していたが顧問のO先生の手ほどきで適当にしめる

大会が始った
5人そろって土俵にあがるものの立会いの仕方など全くわからない
しょうがないので他の学校の選手の動作をみながらやることにした
秋田市といっても当時、近郊には農家が多かった

だから近郊の中学校には相撲部があって村相撲も盛んであった
選手も選抜されてきたつわものぞろい
町内会の応援団も多数来ていて熱心な応援


そんな雰囲気のなかで我々5人は、参加することに意義ありの精神で土俵に上がっていった
O先生の顔をたてれば済むことだから・・・・と思いながら一人ずつ相撲を取り始めたら、とんでもない事態になってしまった
どんどん勝っていってしまったのである

近郊の中学校の選手は筋骨隆々で態度も立派
こちらはまわしのしめかたも知らないまま土俵にあがっている素人
それなのに5人のうちなぜかしら3人以上は勝ってしまって、学校対抗戦で勝ち進んでいくのである

気がついたら市の大会で優勝してしまっていた
20校くらいの中での優勝で優勝カップを貰ってしまったのである

市の大会で優勝してしまったので県大会にもでなければいけないことになった
さすが県大会では早々に負けた

夏休み終了後の2学期の初めに全校生徒の前で優勝カップを持参しながら表彰を受けた

にわか選手5人のうち今でも覚えているのは4人だけで1人の名前は思い出せない
4人のうち3人は亡くなってしまった
1人は40代で秋田で亡くなっていた
1人とは3年前に秋田で再会したがその直後に亡くなった

最後の1人は小学校時代の同級生であった
5年前に小学校時代の同級会を半世紀ぶりに開いたとき、私と一緒に相撲に出た話をスピーチのなかで披露してくれた
その彼も昨年亡くなったのである

大相撲のニュースを聞くと思い出す
中学時代に市の相撲大会に出てチーム優勝してしまったこと
亡くなった3人のことを

歳をとるにつれて思い出の鮮やかさが増していくと同時に一緒に闘った3人への想いが増していく

2010.02.08:Copyright (C) 年だからでなく年がいもなく
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