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今年1年
昨年末にはすい臓がん術後1年半をクリアし、今年は2年目を迎える年であった
6月まで毎月外来診察を受け、3ヶ月に1回CT検査を受けていた
6月8日は術後2年目のCT検査であった
結果は転移の所見なし
そして言われてことは「今後は毎月の外来診察と3ヶ月に1回のCT検査をやめて6ヶ月に1回のCT検査だけにしましょう」ということ
言われてみて「ああ、術後2年を切り抜けたから少し余裕を持たせてくれるのか、よかった」と思うと同時に「6ヶ月間も診察も検査もないというのは不安だ」という思いが重なる
主治医から言われたのだから、「6ヶ月後の検査まで自己管理を徹底して再発、転移がないようにするしかない」と決めて、食事療法と運動療法の徹底を図ることとする
食事療法に3月から野菜ジュースを付け加えて毎日3食ごとに継続
1回あたり野菜250をジュサーでジュースにして飲むだけでなく、搾りかすも全部食べた
ジューサーを洗うのもブラッシングしたりして大変であったが10ヶ月間続いている
運動療法は週3回のスイミングとスイミング以外の日の1時間のウオーキングである
自分なりの療法を続けながら時たま言い知れぬ不安に襲われる
そんな不安を抱えながら12月7日のCT検査に臨んだが「異常なし」という主治医からのありがたい言葉を頂戴できた
次回の検査日は半年後の5月31日となった
抗がん剤も飲んでいないので、今までの食事療法と運動療法をさらに徹底して継続していくしかない
がんは自らが作った生活習慣病であると受け止めて、まずは生活をきちんとしていくことが大事と考えている
気持ちの持ちようも重要である
自分なりにがんについて2つ面から考えている
1面は、がんでは死なないと思い込みながら生きていくということ
2面は、6ヶ月の時限を意識し6ヶ月単位で生きることを考えるということ
まずは6ヶ月間は生き延びられるということを意識して、6ヶ月間を充実させながら生きる
そのためには、6ヶ月後には「万が1」もありうるということを意識の隅におきながら「今を生きる」ということ
6ヶ月過ぎたらその先のことはその時点で考えてリセットすればいい
家族は「お父さん、じいちゃんはがんだぞー!」といっても反応してくれない
余命○ヶ月と言われることも考えて11月にお墓を作ったが、子どもたちからは「これで1安心ですね〜」という反応しかない
これでいいのだと思う
がん患者を抱える家族ではあるが、のどかで平和な年で終えることができた
仕事はローワーク関係のものを残して大分整理したが、やりがいを感じながら続けることができた、
今年は依頼されて宮城県職業能力開発協会の「CADS&CADIの研修」に挑戦してみた
講義内容や進め方を参考にするために東京は福島まで宿泊見学までした成果はあった
今年は古希の年
中学時代の古希同級会を5月に秋田で 小学校時代の古希同級会を9月に仙台の秋保で開いた
いずれも世話役をさせてもらったが、明日へつながる古希同級会を開催できたと思っている
同級会の打ち合わせも兼ねて何度か中学時代、小学時代の同級生たちと秋田で懇談できたのも楽しかった
小学校時代の先生と大学時代の先生とも数回お会いできたのも実りある時間であった
大学時代の先生は10月に亡くなられたがその2週間前に病院にお見舞に行ってお話ができた
所属している団体での毎月の勉強会や各種行事にも参加できたし、お花見や芋煮会、合宿などの懇談を通じて交流を深めることができた
日記と思って何気なく始めたブログであるが12月で3年と4ヶ月続いている
今年の投稿回数は202回でほぼ2日に1回の更新で続けることができた
友人や家族が観てくれたうえに書き込みもしてくれるようになったことが嬉しい
継続することへの励ましになっている
今年見た映画は映画館で40本、ダビングしておいたビデオも50本以上観ている
痴呆の始りか、昔見た映画の内容を大分忘れているので、昔観た映画で新たな感動を味わう
今年はがん術後2年半を通過しながら昨年以上に命の尊さ、生きていることの素晴らしさ、家族の愛情などについて気づいたり考えたりした年であった
がんを意識しながら生きたようで、それほど意識しないで生きてこれた1年でもあった
やりたいことをやってこれた、楽しかった、やりがいを感じた、と言い切れる1年であった
感謝!である
2009.12.31:Copyright (C)
年だからでなく年がいもなく
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6月まで毎月外来診察を受け、3ヶ月に1回CT検査を受けていた
6月8日は術後2年目のCT検査であった
結果は転移の所見なし
そして言われてことは「今後は毎月の外来診察と3ヶ月に1回のCT検査をやめて6ヶ月に1回のCT検査だけにしましょう」ということ
言われてみて「ああ、術後2年を切り抜けたから少し余裕を持たせてくれるのか、よかった」と思うと同時に「6ヶ月間も診察も検査もないというのは不安だ」という思いが重なる
主治医から言われたのだから、「6ヶ月後の検査まで自己管理を徹底して再発、転移がないようにするしかない」と決めて、食事療法と運動療法の徹底を図ることとする
食事療法に3月から野菜ジュースを付け加えて毎日3食ごとに継続
1回あたり野菜250をジュサーでジュースにして飲むだけでなく、搾りかすも全部食べた
ジューサーを洗うのもブラッシングしたりして大変であったが10ヶ月間続いている
運動療法は週3回のスイミングとスイミング以外の日の1時間のウオーキングである
自分なりの療法を続けながら時たま言い知れぬ不安に襲われる
そんな不安を抱えながら12月7日のCT検査に臨んだが「異常なし」という主治医からのありがたい言葉を頂戴できた
次回の検査日は半年後の5月31日となった
抗がん剤も飲んでいないので、今までの食事療法と運動療法をさらに徹底して継続していくしかない
がんは自らが作った生活習慣病であると受け止めて、まずは生活をきちんとしていくことが大事と考えている
気持ちの持ちようも重要である
自分なりにがんについて2つ面から考えている
1面は、がんでは死なないと思い込みながら生きていくということ
2面は、6ヶ月の時限を意識し6ヶ月単位で生きることを考えるということ
まずは6ヶ月間は生き延びられるということを意識して、6ヶ月間を充実させながら生きる
そのためには、6ヶ月後には「万が1」もありうるということを意識の隅におきながら「今を生きる」ということ
6ヶ月過ぎたらその先のことはその時点で考えてリセットすればいい
家族は「お父さん、じいちゃんはがんだぞー!」といっても反応してくれない
余命○ヶ月と言われることも考えて11月にお墓を作ったが、子どもたちからは「これで1安心ですね〜」という反応しかない
これでいいのだと思う
がん患者を抱える家族ではあるが、のどかで平和な年で終えることができた
仕事はローワーク関係のものを残して大分整理したが、やりがいを感じながら続けることができた、
今年は依頼されて宮城県職業能力開発協会の「CADS&CADIの研修」に挑戦してみた
講義内容や進め方を参考にするために東京は福島まで宿泊見学までした成果はあった
今年は古希の年
中学時代の古希同級会を5月に秋田で 小学校時代の古希同級会を9月に仙台の秋保で開いた
いずれも世話役をさせてもらったが、明日へつながる古希同級会を開催できたと思っている
同級会の打ち合わせも兼ねて何度か中学時代、小学時代の同級生たちと秋田で懇談できたのも楽しかった
小学校時代の先生と大学時代の先生とも数回お会いできたのも実りある時間であった
大学時代の先生は10月に亡くなられたがその2週間前に病院にお見舞に行ってお話ができた
所属している団体での毎月の勉強会や各種行事にも参加できたし、お花見や芋煮会、合宿などの懇談を通じて交流を深めることができた
日記と思って何気なく始めたブログであるが12月で3年と4ヶ月続いている
今年の投稿回数は202回でほぼ2日に1回の更新で続けることができた
友人や家族が観てくれたうえに書き込みもしてくれるようになったことが嬉しい
継続することへの励ましになっている
今年見た映画は映画館で40本、ダビングしておいたビデオも50本以上観ている
痴呆の始りか、昔見た映画の内容を大分忘れているので、昔観た映画で新たな感動を味わう
今年はがん術後2年半を通過しながら昨年以上に命の尊さ、生きていることの素晴らしさ、家族の愛情などについて気づいたり考えたりした年であった
がんを意識しながら生きたようで、それほど意識しないで生きてこれた1年でもあった
やりたいことをやってこれた、楽しかった、やりがいを感じた、と言い切れる1年であった
感謝!である