45回目の結婚記念日:生涯学習ノート
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45回目の結婚記念日
5月2日は45回目の結婚記念日だった
昨年まではゴールディンウイークなので息子達や孫達が来ていた
そんななかでの記念日だったので、記念日を祝う花を買って食卓に飾り、夕食のときに「結婚記念日おめでとう!」で終わっていた
今年は孫が中学生になり来ないという
初めて2人だけの結婚記念日を迎えることになった
さてどう過ごそうかと思案したが毎日が日曜日の身にしてみれば、わざわざ人ごみになかへ出かけることもない
ということで案内を貰っていたライブへ出かけてみた
「ソル・デ・ミシオネス」という名前で南米の民族楽器アルパ(ハープのような楽器)という楽器を演奏する夫婦のライブ
定員60名のレストランを借り切っての家族的なライブだった
奥さんは地元仙台の方でご主人はパラグアイの方
奥さんがパラグアイへJICAの音楽普及隊員として派遣されていたときにご音楽家の主人と知り合い、結婚して仙台に移り住んで演奏活動をしているおしどり夫婦である
女房も2度目のライブなので、家族的な雰囲気のなかで楽しむことができた
女房と知り合ったのは二十歳のとき
それ以来なぜかしら自分で結婚すると決めてまっしぐらに突き進んでしまった
「直観結婚」という言葉はないが、そんな感じである
5年間離れていたが25歳のときに結婚して今に続いている
赤塚不二夫ではないが「これでいいのだ」である
家庭や子供の教育など「お任せ」でやってきてしまった
子供達は「お母さんがいなければ、私たちはどうなっていたかわからない」という
感謝、感謝、である
遅まきながら、少しでも償いをせねばと思ってやっているのだが・・・
これからは老いのスピードが早まる
お互いの介護のことも考えざるを得ないが、45年も一緒に暮らしてきたんだもの何とかなるさ
普通のことを普通にやっていくことのなかに幸せをみつけれるような夫婦生活でいいのじゃないか、と思う
45回目というとあと5回目で金婚式になる
今年の5月1日で膵臓がんの術後2年目をクリアしたが、あと5年生き延びないと金婚式は迎えることができない
それまでもつかどうかちょっとばかり不安もあるが、まずは来年の5月2日の46回目を目指す
5月2日の朝、庭に待望の鶯が来た
今まで毎年庭の木に止まって「ホーホケキョ!」と元気な鳴き声を聞かせてくれていた鶯が、今年はまだ来ていなかったのである
昨日も「鶯が今年は来ないね。どうしたんだろうとね?」と2人で話していた矢先であった
朝「ホーホケキョ」という鳴き声を聞いて、どちらからともなく「わー!来た、来た!」と叫んでしまった
何よりの結婚記念日のお祝であった
2009.05.03:Copyright (C)
年だからでなく年がいもなく
おめでとうございます
結婚記念日、そして術後2周年、おめでとうございます。
何気ない日常を共に過ごせることに幸せを感じられるっていいなあと思いながら拝読しました。そういうパートナーがいることが、うらやましいです。
1日1日を過ごしていくことでたどり着けるところ
過ごしてみて振り返ることができるところで
「これでいいのだ」と笑っていられるのは
人生を受け入れるところに立っているからなのでしょうか。
私は、まだまだ泥臭く足掻いてみたいと思います。
46周年もお二人でむかえられますよう、お祈り申し上げます。
2009.05.09:まめこ [
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幸せな円満夫婦とは、宅配便になること
直感結婚」して、「子育てはお任せ」して、「少しでも償いをせねば」とは・・
好き勝手なことを散々しながら〜、今更これから幸せをみつけるような夫婦円満な生活の秘訣とは・・・
宅配便になることではないでしょうか。何か言われたら素直に
「 うん そう や・・・」
「 はい そう です・・」
これからもご活躍を楽しみに期待しています。
2009.05.12:笑遊:
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うーん!?
それぞれの夫婦の形や歴史が違いがありますから、秘訣と言うのは難しいですよね
おっしゃるとおり、素直に、素直に、ということが大事でしょうね
私としては、まずは自分が変わる、変われる、成長していけると思い込んで、何かをやってみる・・・というふうに考えてはいるのですが
ひとりよがり、手前味噌と良くいわれますが・・
2009.05.14:長山 [
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そんななかでの記念日だったので、記念日を祝う花を買って食卓に飾り、夕食のときに「結婚記念日おめでとう!」で終わっていた
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初めて2人だけの結婚記念日を迎えることになった
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ということで案内を貰っていたライブへ出かけてみた
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女房も2度目のライブなので、家族的な雰囲気のなかで楽しむことができた
女房と知り合ったのは二十歳のとき
それ以来なぜかしら自分で結婚すると決めてまっしぐらに突き進んでしまった
「直観結婚」という言葉はないが、そんな感じである
5年間離れていたが25歳のときに結婚して今に続いている
赤塚不二夫ではないが「これでいいのだ」である
家庭や子供の教育など「お任せ」でやってきてしまった
子供達は「お母さんがいなければ、私たちはどうなっていたかわからない」という
感謝、感謝、である
遅まきながら、少しでも償いをせねばと思ってやっているのだが・・・
これからは老いのスピードが早まる
お互いの介護のことも考えざるを得ないが、45年も一緒に暮らしてきたんだもの何とかなるさ
普通のことを普通にやっていくことのなかに幸せをみつけれるような夫婦生活でいいのじゃないか、と思う
45回目というとあと5回目で金婚式になる
今年の5月1日で膵臓がんの術後2年目をクリアしたが、あと5年生き延びないと金婚式は迎えることができない
それまでもつかどうかちょっとばかり不安もあるが、まずは来年の5月2日の46回目を目指す
5月2日の朝、庭に待望の鶯が来た
今まで毎年庭の木に止まって「ホーホケキョ!」と元気な鳴き声を聞かせてくれていた鶯が、今年はまだ来ていなかったのである
昨日も「鶯が今年は来ないね。どうしたんだろうとね?」と2人で話していた矢先であった
朝「ホーホケキョ」という鳴き声を聞いて、どちらからともなく「わー!来た、来た!」と叫んでしまった
何よりの結婚記念日のお祝であった