「ガン病棟のピーターラビット」(中島 梓 ポプラ文庫 ):生涯学習ノート
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「ガン病棟のピーターラビット」(中島 梓 ポプラ文庫 )
2008.10.03:Copyright (C) 年だからでなく年がいもなく
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家 栗本 薫である
2007年に膵臓ガンになり手術を受けた
その後3ヶ月後に肝臓に二つの転移が発見され、現在、抗癌剤を服用しながら
執筆活動やピアノのレッスンなどに励んでいる
黄疸から始まった自覚症状、検査の診断結果はガン、そして大手術と、一連の
流れの中での体験をエッセイ風にまとめた本である
私も昨年5月に膵臓がんの手術をしたのに、9月に肝臓に1ヶ所転移の疑いがあ
ると診断されて、精密検査待ちの身
使用する抗癌剤も中島 薫と同じ
本に書いている膵臓がんの5年生存率は20%前後ということももちろん知っている
ということで早速読んでみた
作家であるからベッドにパソコンを持ち込んで、病院内での状況など細かに描
写している
私が共感を覚え、勇気付けられた部分は、術後から現在に至るまでの死生につ
いての心境
自分の置かれている状況を冷静に見極めた上で、なおかつ生きようとする姿勢
がたんたんと描かれている
『主治医の先生にいわれました。「この後は、1年とか長い単位で計画をたて
ないほうがいい。何ヶ月単位で物事を計画していってください」と。つまりは
それだけ、自分の情勢と言うのは切迫しているということなのでしょう』
『私はもしかしたら今年いっぱい長くてあと数年かもしれない、といわれたお
かげでなんというか、「ああ、自分はいま、こうして生きているのだ」という
ことを非常に強くたえず感じることができる。これまでずっと「メメント・モ
リー ― 死を忘れるな」ということを信条にして生きてきましたが、いま
や、それを唱えるまでもなく死が私の隣にいつも寄り添っている。』
『私はガンになったことがそれほど嫌いではありません。さらに大胆に言い切
るならば、「ガンになってよかったかもしれない」とも思っています。それに
よって、私はものすごく沢山のことを学んだし、生きているということが、私
にとってはそれこそ、「当たり前のこと」じゃなくなり、とても芳醇な、色濃
い、めまいのするほど素晴らしいことになったのだから。もとからそうでした
けれど、さらに。』
『もちろん生物としての自分が滅びる時には、肉体的には大騒ぎもするだろう
し、やっぱり「もうちょっと生かしておいてくれ」と思うだろうけれども、家
族のことを思うと「もっと生きていてやりたい」と思うけれど、でも、それは
何年生きていても同じことを思うだろうし ー
だから私としては、ただひたすら、「生きられるだけ生きて、そして終わる」
しかない、ということでしょうね』
中島 梓は17年前に乳ガンの手術もしている
私も膵臓ガンの前、7年前に前立腺ガンの手術をしている
私のブログを読まれた方がいいます。「よく冷静に書けますね」と
いちどガン体験をしているからか・・・
でも中島 梓は私ごとき者とは比べようもなく、とてつもなく冷静である
そんな彼女がたどり着いた今の境地に私は非常に共感を覚える。励まされれる
彼女は書いている
『私はいろいろな折りに「メメント・モリー」ということについて書いてきま
した。この言葉が好きで、同時にまた「生死一如」と言う言葉も好きです。こ
の「生死一如」の方は今回の入院で、最初に「ガン」ですといわれてからずっ
と頭の中に浮かび続けていました。所詮生も死もひとつのものの如し、生のな
かにあって死を忘れるな、死の瀬戸際にあっても生きようと思え ー という
ようなことを、漠然と今の私は考えています。でもそれよりも、そういう原則
論というか、抽象的な話よりも、それよりも、もっと、もっと、この一日、毎
日毎日を生きなくては。 私は生きていることがとても好きです』
私も毎日を大事にしながら暮らしていきたいと思っている。生きていきたいと
思っている
このブログを書いているときに日経新聞に「人生の終章 −自分らしく奏でる
ー」という記事が載った
そのなかに、著者はこの本を次のように紹介している
「この本が、お手にとられたかたに何らかのメッセージを伝えて、お役にたて
ば、とても嬉しいと思っております」
メッセージ受け止めましたよ。感謝。